「語り部の見た世界」10

 むかしむかし、おとぎばなしの続きのおはなし。
 キカイリュウと少年は、ふたりで旅をしていました。
 ふたりはふたりとも行く場所がなくて、ふたりはふたりとも帰る場所がありませんでした。
 だからふたりは「いっしょ」で、だからふたりは「おんなじ」でした。
 いつからでしょうか。ふたりが「いっしょ」でなくなってしまったのは。ふたりが「おんなじ」でなくなってしまったのは。
 だけどふたりは、「いっしょ」でいたいと願っていました。
 


 地面に穴が開いていました。穴の周囲には荒野と山以外何もありませんでした。穴とはいっても、縦穴でもなく、洞窟のようでもなくて、傾いて埋まってしまった建物の入口のようでした。
少年はカンテラをかざして、穴の中を覗き込みました。キカイリュウの大きな影と、少年の小さな影がどこまでも続く平らな壁と床にまっすぐに長く伸びていました。
 ふたりはどちらが言うともなく、吸い込まれるように穴の中に入っていきました。
 その穴が、誰かによって作られたものだというのは一目見て分かりました。通路の壁や床は、大きくて四角い岩の塊を並べて組み合わせたもののようでしたが、その継ぎ目はほとんど見えなくて、触ってみないと分からないほどでした。
 だから、進んでも進んでもふたりに見えている光景はほとんど変わりませんでした。通路はどこまでも平坦で、どれだけ進んだかを示すしるしもありません。少年の軽い靴音とキカイリュウのゆっくりとした足音だけがどこまで続くとも分からない穴の中に響いていました。本当に前に進めているのか不安になって、少年は何度もキカイリュウに話しかけました。その度にキカイリュウは答えてくれて、その度に少年はほっと胸をなでおろしました。
 どれだけ歩いても歩いても同じような道が繰り返されるこの穴の中では、全てが曖昧になっていくように見えました。ふたりが一歩一歩前に進む度にからんからとカンテラは揺れて、カンテラの光が揺れる度に、ふたり分の影はぶよぶよと歪んでは形を変えました。少年の小さな影とキカイリュウの大きな影。影は何度も重なって、好き勝手に動き回っているように見えてきました。大きなその影が、まるで自分ではない誰かが確かな足取りで穴の奥に向かって進んでいるように見えて、少年は影から目を逸らしました。
 少年はこの穴の奥に行かなければならないと強く感じていました。この穴の先にある何かに辿り着かなければならないと、きっとキカイリュウもそれは同じなんだと感じていました。だけど、そう感じる理由はいくら考えても分かりませんでした。理由はないのに結論だけが存在している感覚。まるで自分の考えなのに自分ではない誰かに影響されているような。少年はそれがとても気持ち悪いと思いました。
 その気持ち悪さを忘れるために少年は色々なことを考えました。キカイのことを、ニンゲンのことを。生きることを、死ぬことを。そして、これまでのことと、これからのことを。足元を見ながらぐるぐると考えたまま少年は単調に歩き続け、現実と非現実の境界がぐらぐらと揺れる曖昧な空間の中、自分がキカイリュウの中にいるのかそれとも自分の足で歩いているのかも分からなくなり始めた頃、ずっとずっと先に小さな光が見えました。
「出口だ!」
 ふたりは顔を見合わせると、出口に向かって走り出しました。
 足を動かすたびに光はどんどんと近づいてきました。ふたりはしっかりと前へ進んでいました。ずっと隣り合っていたあのおそろしい影は出口に近づくにつれて眩い光に掻き消されて、やがて少年もあの気持ち悪さを忘れていきました。
 どこまで行っても変化のなかった通路は光に近づくにつれて急激に凹凸が増えていきました。何度も転びそうになりながら、ふたりは光に向かって駆けていきました。光は、もう目の前でした。ふたりは最後に大きく地面を蹴って、ふたりは光の中に飛び出ました。
 急に眩しいところに出たものだから、目が眩んでしまって、少年はしばらく目の上を手で覆いました。
 目が慣れてきたときに最初に見えたのは鮮やかな緑色でした。
 一面に生い茂る木々が生き生きと両腕を上に伸ばして、濃い茶色と緑色の枝葉を穏やかな風に揺らしていました。木々の間を小さな生き物たちが飛び交っていました。濃厚な土と水の匂いがして、聞いたこともない鳴き声が時たまどこからか響きました。
 見上げると、大きな穴の開いた岩の天井がありました。天井のひび割れた場所から時折砂が落ちてきていて、ふたりはここが地下の空間であると知りました。
 何の警戒もせずにふたりの足元に、小さな鳥が一羽降りてきました。小さな鳥は地面を何度かついばんだ後、ふたりを見て首を傾げました。ふたりもつられて首を傾げました。小さな鳥は小さく鳴きながらどこかに飛び去っていきました。
 ふたりはこれを見たことがありました。ふたりはここが何かを知っていました。
 木々が生い茂っていて、生き物がたくさんいて、澄んだ水が、柔らかな光が溢れていて、キカイもニンゲンもいない場所。
 そこは、地下に埋もれた箱によって閉じ込められた小さな「森」でした。
 ふたりはおそるおそる一歩、足を踏み出しました。少年の小さな足がほんの少し泥に沈んで、キカイリュウの大きな足が深く沈みました。水の冷たさが分厚い靴の底を通しても足の裏にじんわりと滲みこんできました。
 キカイリュウがもう一歩を思い切り踏み出すと、その衝撃で泥が大きく跳ねて、少年の顔や服にべったりとつきました。少年はびっくりしてちょっとの間動けませんでしたが、すぐに仕返しにと何度も泥の中で飛び跳ねました。キカイリュウの鈍色の体に少しだけ泥がつきました。キカイリュウは理解したのか理解していないのか、長い尻尾で泥を少しすくい上げると、そのまま泥を少年にぶつけました。少年も何度も泥をすくい上げて、キカイリュウにぶつけました。
 泥まみれになりながら、少年はなんだか楽しくなってきました。キカイリュウもなんだか楽しくなってきました。ここにはニンゲンはいません。ここにはキカイはいません。ここには、ふたりがいっしょであることを咎めるものは何もありません。
 ふたりは笑いました。泣きながら笑いました。
 きっとここが、ふたりの目指していた場所なのです。


 壁の隙間から湧いていた水で体についた泥を洗い落としていると、ふたりは「森」の中に一本の道を見つけました。
 その道はほとんど「森」に隠されていました。草に左右から侵食されているのはもちろんのこと、石畳の隙間からも草は生い茂り、辛うじて残った部分も柔らかな苔に覆い隠されて、ほとんど見えなくなっていました。
 キカイもニンゲンもいないこの「森」で、一体誰が道を作ったのでしょう。ふたりは不思議に思って、その道を辿ってみることにしました。
 キカイリュウは少年より背が高いので、何度も低い位置の枝に引っかかってしまって、その度に葉からこぼれた水滴がふたりに当たりました。枝を揺らす度に、「森」の中を分け入る度に、ふたりの姿を見た小さな生き物たちが慌てて逃げていく音が聞こえました。
 最後に、見てはいけないよとでも言うように、ふたりの左右から視界を遮る枝葉を易々と押し上げると、ふたりの目の前にとても大きなものが現れました。
 それは随分と古くに放棄された建物のようでした。ニンゲンによって作られたものであることは明らかでしたが、建物の前に広がるかつては庭であったと思われる場所はほとんどが「森」に飲み込まれていて、今ニンゲンが住んでいる様子は全くありませんでした。
 建物は大きな岩でできていました。キカイリュウが首を伸ばすと届きそうな高さには文字のような模様が横に続いていて、見たこともない生き物の彫刻がその文字たちを踏みつけるかのようにいくつも乗っていました。そのずっとずっと上には岩でできた屋根がありました。それら全てを支えるために、キカイリュウよりも太い装飾された柱たちが、窪んだこの場所の天井に届きそうなほどに高く、聳え立っていました。
 建物の正面には入口がありましたが、建物の大きさにふさわしくないほど小さい入口でした。小さな少年は辛うじて通ることができそうでしたが、大きなキカイリュウにはとても通れそうにありませんでした。仕方なく少年はひとりでその建物の中を探索してくることにしました。
「見てくるね」
 そう言い残して、少年は大きなその建物の正面に立ちました。目の前の小さな入口にびょおおと風が吹き込んで、それがまるで巨大な怪物が息を吸い込んでいるように見えて、少年はごくりと生唾を飲み込みました。後ろを振り返ると、キカイリュウはいつも通りゆらゆらと長い尻尾を揺らしながら座っていました。少年はもう一度唾を飲み込むと、建物の中にそっと入っていきました。
 一歩足を踏み入れると、床に積もった埃がぶわっと舞い上がりまって、少年はけほけほと咳をしました。建物の中の空気は濁っていて、息苦しく感じました。この箱の「森」に辿り着くまでに通ってきた通路以上にこの建物は古いのだと少年は考えました。
 少年は足元をカンテラで照らして、建物の奥に向かって歩き始めました。
 建物の中には生き物はひとつもいませんでした。音がありませんでした。窓がありませんでした。少年の持つカンテラの小さな光だけが建物の中を照らしていました。木も生き物も水も光も溢れている外の「森」とは対称的でした。まるでこの建物自体が、死んでしまっているように少年は思いました。
 少年は時々立ち止まっては、入口の光を振り返りました。振り返るたびに遠ざかる光に不安を覚えながらも、すぐにまた前を向いて少年は探索を続けていきました。
 先に進むにつれて壁や柱への装飾は増えていきました。そして、暗く淀んだ空気の立ち込める建物の奥に進んでいくほど装飾はきれいに残っていました。一歩進むごとにきれいに精巧に豪華になっていく壁や柱を見ながら、少年はまるで、時間を遡っているような気分になっていきました。この建物が経てきた歴史を歩いて見ている気分になっていきました。そうして、この建物の一番奥には、遠い遠い時間を最後まで遡った先には、一体何があるのかとわくわくしてきました。
 暗くて広い空間をまっすぐ進んでいくと、少年はある部屋に辿り着きました。
 部屋の入口の前には、左右に低い柱が立っていました。丸い柱の下にはそれぞれの柱を囲むように文字のような図形が書かれていましたが、少年にはそれを読むことはできませんでした。柱の上では、翼のある生き物の彫像が牙のある口を大きく開けて、こちらをおどかしていました。トカゲのような形をしたそれはおそらく、竜でした。
 ここだ、と少年は確信しました。
 とても広い部屋でした。部屋の中にはキカイリュウよりも太い、彫刻が施された低い柱が等間隔にいくつも立っていて、その上には大きな何かが乗っていました。
 ごちゃごちゃとした輪郭をしたそれが何なのかうまく分からなくて、少年はカンテラをかざしながらそれに近づきました。カンテラの小さな光に照らされて、ぼんやりとした影が壁に映りました。鈍色に光る、光を受けて影を作る、いくつもの異形の頭が、数え切れないほどの鋭い牙が、指し伸ばされた大きな爪が見えました。
 それは、キカイの群れでした。
 少年はわっと声を上げてカンテラを取り落としかけましたが、すぐにそのキカイたちが動く気配がないことに気づきました。
 少年は垂れ下がったキカイの頭におそるおそる触れてみました。硬い目にも、ぎざぎざの歯にも触ってみました。キカイはほんの少しも動きませんでした。
 そのキカイたちはもう、死んでいました。
「キカイも、死ぬんだね」
 小さく呟いた言葉は高い天井に反響して、音のない建物の中にわんわんと響きました。それはまるでからっぽだったキカイリュウの中のようで、少年はなんだか悲しく感じました。
 キカイたちは一つも同じ形のものはありませんでした。首の長いもの、翼を持ったもの、四つ足のもの、ニンゲンに似たもの、見たことのある獣の形を模したもの、見たこともない形をしたもの。動かないキカイたちを順番に見ていきましたが、幸いにもキカイリュウと同じ形をしたキカイはいなくて、少年はほっと胸をなでおろしました。
 その部屋の一番奥には五段ほどの小さな階段がありました。階段を上がったところには、ひとつのキカイが、まるでキカイたちの王様のように座っていました。
 少年はそれを一目見て、キカイだと理解しました。しかし、そのキカイは、ぼんやりとした影にしか見えませんでした。少年は目を何度もこすってみましたが、どうしてもそのキカイの姿を確かに見ることができません。階段を上りきってカンテラの光で照らしてみても、それは変わりませんでした。
 ただ、曖昧な輪郭のキカイの影の真ん中に、心の形を模した部分だけがはっきりと浮かんで少年の目には見えました。
「……きみたちはどこからきたの?」
 まるで予め決められていた言葉のように、自然とその疑問が少年の口からこぼれました。
 少年はキカイの心をそっとなぞりました。
 ――たびを。
 誰かがそう言った気がしました。でも、そんなはずはありません。この建物の中には少年以外の命はいないはずなのですから。
 ――いっしょに。
 風の音に紛れて、誰かがそう言った気がしました。でもきっと気のせいだろうと少年は思いました。この建物の中に風は吹いていないのですから。
 ――ここにいる。
 澄んだ声が聞こえました。確かに聞こえました。しかしその声が、男のものなのか女のものなのか、判別することはできませんでした。
 ――いっしょにいたかった。
 今度はざわざわと蠢くような音で、その声は聞こえました。軋むような、蹲るような、かなしい、かなしい、そして、おそろしい音でした。同時に、後ろで何かが動き出したような気がして、少年は階段の下へと振り向きました。
 階段の下の柱の上にはたくさんのキカイがいました。柱の上のキカイたちは沈黙したまま動きません。
 キカイ、いいえ、ただのキカイではありませんでした。少年にはひとつのキカイの姿がキカイリュウに見えていました。ぜんぜん違う形をしているはずなのに。その隣のキカイが少年を見たような気がしました。口が動いて何かを言いました。キカイの輪郭がぶよぶよと歪んでキカイリュウになっていきます。翼があるものも、ないものも、足の多いものも、少ないものも、大きいものも、小さいものも、みんなみんなキカイリュウになっていきます。
 首を持ち上げたキカイリュウ、翼を持ったキカイリュウ、大きなキカイリュウ、小さなキカイリュウ、口を開いたキカイリュウ、倒れてしまったキカイリュウ、たくさんのキカイリュウ、キカイリュウ、キカイリュウ――
 たくさんのきみが、死んでしまった目で、ぼくを見つめていました。
 少年は逃げ出しました。階段を駆け下りて、キカイたちの間を駆け抜けて、光の差す出口に向かってまっすぐに逃げていきました。少年には、動かないキカイたちが、少年の背中を見つめているように思いました。動かないキカイたちが、少年を追ってくるように思いました。
 少年は建物の外に飛び出ました。割れた天井から落ちてくる光が少年を照らして、たくさんの「森」に住む命の音たちが少年の耳に戻ってきました。
 だけどそこにキカイリュウはいませんでした。少年は泣き出しそうになりながら、「森」の中を必死で探しまわり、ようやくキカイリュウを見つけました。
 「森」の中に開かれた光の射す小さな広場で、見たこともないキカイの亡骸の前に、キカイリュウは座り込んでいました。
 少年はキカイリュウに駆け寄ると、キカイリュウの大きな前足にぶつかるように抱きついて、しばらくの間、震えていました。
 さっきあの建物の中で見てしまったものは何だったのでしょう。考えても考えても少年には分かりませんでした。ただ、ただ、あの死んでしまった空間を、死んでしまったキカイたちを、少年はおそろしいと感じました。知らない間に溢れてきた涙が少年の顔を濡らしました。
 だけど、キカイリュウはぴくりとも動きませんでした。いつものように涙を拭ってもくれなければ、話しかけてもくれませんでした。少年はキカイリュウの俯いた頭を見上げました。
「どうしたの?」
 答えはありませんでした。見上げた先にあるキカイリュウの小さな頭は、ただ黙ったまま、固まっていました。
 少年はキカイリュウの体にそっと触れました。
 いつも変わらないはずのキカイリュウの体温が、なんだかいつもより冷たく感じました。
 少年はキカイリュウの中を覗き込みました。
 キカイリュウの真ん中で、いつも規則正しく震えていたはずのキカイリュウの心臓は、動きを止めていました。
「いやだ……」
 少年はそれを知っていました。どんなに当たり前でも、どんなに大好きでも、どんなに元気でも、どんなに覚えていても、ある日突然、簡単にいなくなってしまう。
 それは、「死」でした。
「置いていかないでっ……」
 少年は泣きました。キカイリュウに縋って泣きました。でも、いくら泣いても、落ちた涙が地面に吸い込まれていくばかりで、キカイリュウが動き出すことはありませんでした。
 泣いて、泣いて、泣き続けて、やがて涙も出なくなりました。それでも少年はキカイリュウを待ち続けて、たくさんの時間が過ぎました。
 いつかまたキカイリュウが動き出すその時を、少年は膝を抱えてずっとずっと待ちました。
 キカイリュウに凭れて地面に座り込む少年の目の前にはひとつのキカイがありました。キカイリュウとは似ても似つかない形状のキカイでした。キカイはキカイリュウと同じように座り込んでいて、足元から苔や蔦に覆われていました。キカイの目は天井を向いたまま止まっていて、天を仰いで泣いているようにも見えました。
 そのキカイは、あの古い建物の中にあったたくさんのキカイたちと同じように、全く似ていないのに、時折、キカイリュウそのもののように見えました。少年はそれをおそろしくも思いましたが、あまりにそのキカイが悲しそうな顔をしているように見えて、そのキカイから目を離すことができませんでした。
 キカイの頭部には、トカゲ鳥が巣を作っていました。小枝をたくさん敷いて、その上に卵が乗せられていました。
 草むらから全身に毛の生えた生き物が少しだけ顔を出し、少年を見つけると慌てて跳ねるように去っていきました。足元の背の低い草の上にはぐねぐねと蠢きながらゆっくりと前に進む虫がいました。頭上にはきいきいと叫び声を上げながら飛び回る鳥がいました。
 座り込んで動かない少年の見える場所だけでも、たくさんのものが動いて、生きていました。
 少年はそんな命たちをずっと見つめていました。何度も朝が来て、何度も夜が来て、それでも少年は命たちをぼんやりと見つめていました。
 少年の足元にはまだ、ぐねぐねと蠢く一匹の虫がいました。
 トカゲ鳥が飛んできて、その虫を乱暴に掴みあげて攫っていきました。小さな牙の生えたこどものトカゲ鳥たちが耳障りな声を上げながら、巣の中に落とされた虫を取り合います。
 そんなトカゲ鳥たちを一匹の蛇が狙っていました。蛇はキカイの首に巻きつくようにしてするするとトカゲ鳥の巣に近づき、大きな口を開けてトカゲ鳥たちに襲い掛かりました。親鳥はすさまじい声を上げて、蛇に飛び掛ってその腹に噛み付きました。しかし蛇も親鳥にすばやく巻きついて、応戦しました。
 しばらくの間、両者は互いに抵抗しあっていましたが、ふとした瞬間に蛇の体がキカイの首から離れて、親鳥は蛇ともども地面に墜落して、そのまま動かなくなりました。
 だけどそれを誰も悲しむことはありませんでした。
 トカゲ鳥のこどもたちは何事も無かったかのように翼を広げて、巣から飛び立ちました。親鳥の片割れも、地に落ちたトカゲ鳥を少しだけ見たような気がしましたが、すぐにこどもたちに飛ぶことを教えることに戻ってしまいました。
 地に落ちた親鳥を、黒くて小さな虫や、羽のついた虫が、ゆっくりと時間をかけて覆っていきました。その上では、トカゲ鳥のこどもたちが元気に飛び回っていました。
 吐き気がして、少年は口を押さえて俯きました。
 生々しいその命の営みを、命が繋がれるその行為を、少年は心底気持ち悪いと、そして「こわい」と思いました。
 きっと本当は喜ぶべきことなのでしょう。尊いことなのでしょう。ニンゲンもどんな動物もそうやって命を繋いできたのだから。命を持っていないキカイたち以外は。
 だけどそれは、変わってゆくことでした。変化してゆくことでした。誰もが、生まれて成長して、死んでゆくのです。地に落ちた親鳥はまだたくさんの虫に集られていました。
 どんな生き物だって泥臭く生々しく生きているのです。そうやって生きて、命を繋いでいるのです。
 少年は考えます。そのための時間はたっぷりありました。
 少年は、あのトカゲ鳥のようにありたくないと思いました。ニンゲンのようにはありたくないと思いました。
 だって生きるということは、つまり、死に近付いていくということだから。
 死ぬのはこわいと思いました。だけど生きるのもこわいと思いました。
 では少年は何になりたいのでしょう。どうありたいのでしょう。少年にはそれが分かりませんでした。
 何度も朝が来て、何度も夜が来ました。だけどキカイリュウは目覚めません。
 食べ物を口にするたびに、水を飲み込むたびに、生きていることへの恐怖は日に日に大きくなっていきました。
 何度も朝が来て、何度も夜が来ました。だけどキカイリュウは目覚めません。
 食べるものが無くなって飢えるたびに、喉が乾くたびに、死んでしまうことへの恐怖は日に日に大きくなっていきました。
 色々なものが目まぐるしく変わっていくその箱のような空間の中で、キカイリュウだけは何も変わりませんでした。
 少年は「きみのようにありたい」と思いました。
 他のキカイたちのようでもなく、ニンゲンのようでもない、きみのようになりたい。少年はそう思いました。
 少年はキカイリュウを待ちました。ずっとずっと待ちました。キカイリュウが目を覚ましたときに、また一緒に旅ができるように。

 時が経って、色々なことがあって、少年がニンゲンの中で生きるようになっても、それは変わりません。
 少年はキカイリュウを待っています。ずっとずっと待っています。
 そして――

   *

?
 青年は走っていた。
 片手には星を閉じこめたカンテラを。
 肩には「おかあさん」に貰った鞄と水筒を。
 鞄の中には、ぼろぼろの本を。
 懐には「きみ」の心臓を、しっかりと抱きしめて。
 青年は走っていた。
 石畳。ニンゲンのまちに敷かれた道を蹴り飛ばして。
 怒号。追いかけてくるニンゲンの声を振り切りながら。
 木の根の抜け道。ずいぶんと狭くなってしまった穴を駆け抜けていく。
 泥。服が汚れてしまうのも構わずに。
 その場所へと、その場所へと。
 青年は走り続けました。
 草木に飲み込まれた石畳を、木の根を踏み越えて、青年はたどりつきました。やっとそこに帰りつきました。
 あの日、置き去りにしてしまった、置いていかれてしまった彼の片割れに。
もう動かないキカイリュウに。
 青年が戻ってきても、キカイリュウは俯いたまま動きませんでした。
『その少年は、いつまでも待っているのです』
 青年は静かに語り始めました。
 まだ書いていない物語の頁を。どうしても書くことができなかった最後の頁を。
『いっしょに旅をして、いっしょにいろんなものを見た、大きくて優しいともだちを』
 まちで過ごした日々は、アルカというニンゲンは、押し殺していた気持ちを言葉にしてしまうほどにぼろぼろと崩れていきました。
 まるで陶器みたいに中身の無い「アルカ」が崩れていって、最後に残ったのは、あの日と何も変わらないかなしみだけ。
『その少年は今でも待っているのです。いつかまた、きみといっしょに旅ができる日を』
 それは祈りでした。
「キカイリュウ……」
 青年はキカイリュウの真ん中に心臓をはめこみました。きみの腹の中に入れてもらったとき、いつも見上げていたあの場所に。
『いつかまた、きみとおなじ景色が見られる日を』
 キカイリュウの大きな前足に青年はすがりつきました。涙がぽろぽろとこぼれて、きみの金属の体に落ちました。


「こわかったの?」
 頭の上から声が降ってきて、ぼくは弾かれるようにキカイリュウを見上げました。
 キカイリュウは震えるようにそっと身じろぎをしました。前足がほんの少し持ち上がって、体にへばりついていた蔦が千切れて地面に落ちていきました。心臓が震える音が聞こえました。
 キカイリュウは首を伸ばして、ぼくを見て、ゆっくりと首を傾げました。あの頃と全く変わらない表情で、仕草で。
「う、あ……」
 涙が溢れた理由は何だったのでしょうか。
 あの頃からきみが変わっていなかったからでしょうか。成長してしまったぼくを、ぼくだと気づいてくれたからでしょうか。きみが戻ってきてくれたからでしょうか。死んでいなかったからでしょうか。きみが、死んでしまうものではなかったからでしょうか。
「わああああああああん……」
 わかりません。わからないのです。
 それでもうれしいのです。きみが、動いていることが。きみが生きていることが。
「こわかった、こわかったよ……」
 ぼくは泣きました。ずっと、ずっと、泣きました。
 きみは何度もぼくの涙をぬぐいました。きみはあの頃から何も変わっていませんでした。それがうれしくて、かなしくて、ぼくはまた泣きました。
 長い、長い間泣き続けて、ようやくぼくの涙がおさまった頃、キカイリュウは何かに興味を持って体を動かしました。
 キカイリュウは、目の前で座り込む動かないキカイに近づこうとしていました。ぼくは慌てて、キカイリュウの前に立ちふさがりました。 
「みてはだめ」
 ぼくは直感していました。
 あのキカイが、きみが眠ってしまった原因だと。
 ぼくは直感していました。科学者の言っていたことを思い出していました。
「きみはここにいてはいけないんだ」
 きっときみは、きみの心臓に負荷がかかりすぎて眠っていたのでしょう。
 キカイは自分のココロを認識すると、動きを止めてしまう。
 そう科学者は言っていました。
 あのキカイを無力化する装置を使われたような状態に、きみはなっていたのでしょう。
 キカイのきみが、ほんの少しでもココロを知ってしまったから。
 ぼくが、きみにココロを教えようとなんてしたから。
「いこう」
 ぼくはカンテラを持ってキカイリュウを促しました。
 カンテラの儚い光を頼りにして、ふたりは美しい箱庭を後にしました。
 長い長い石の通路を通って、青年とキカイリュウは今一度世界に放り出されました。
 青年は一度息を吸って、吐き出しました。まるで初めて息をしたような心地がしました。
「死んでいた。ぼくはいままで、死んでいた」
 赤い赤い朝焼けが目にしみました。
 キカイリュウは首を傾げました。
 世界にはぬるい風がゆるゆると吹いていました。大地はどこまでも乾いたままで、命と呼べるものはほとんど存在していませんでした。青年は改めて世界というものを知りました。
 青年は一度だけ穴を振り返りました。穴の奥には黒々とした影だけがありました。
「さようなら、さようなら」
 きっとここも、ふたりの目指す場所ではなかったのです。


[2016年 03月 14日]

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