[2016年 03月 12日]
むかしむかし、おとぎばなしの続きのおはなし。
キカイリュウと少年は、ふたりで旅をしていました。
ふたりはふたりとも行く場所がなくて、ふたりはふたりとも帰る場所がありませんでした。
だからふたりは「いっしょ」で、だからふたりは「おんなじ」でした。
いつからでしょうか。ふたりが「いっしょ」でなくなってしまったのは。ふたりが「おんなじ」でなくなってしまったのは。
だけどふたりは、「いっしょ」でいたいと願っていました。
きっとキカイリュウも、そう思っていました。
大岩に隠されるようにして家が集合して建っていました。そんな家たちを貫いて、砂に薄く覆われた石畳の道がありました。
それは、今まで何度も見てきたようなニンゲンのまちの残骸でした。
ですが少年には分かっていました。
そこは、少年の故郷でした。キカイリュウと出会う前に、少年が住んでいた場所でした。
いつの間にふたりは戻ってきてしまったのでしょう。それは誰にも分かりません。
少年は幼い頃の記憶を頼りに、朽ちつつあるまちの大通りを歩いていきました。ニンゲンはひとりもいませんでした。少年の靴が石畳を踏む音と、キカイリュウの手足が石畳を踏みつける音だけがまちに響いていました。
道の脇にはいくつもお墓が立っていました。少年の記憶の中には、こんなものはありませんでした。
一体このまちに何があったのでしょう。それは誰にも分かりません。
石畳の敷いてある大通りを一度曲がった所に、一軒の家がありました。
そこはかつて少年が住んでいた家でした。少年が旅に出る前に、キカイリュウと出会う前に、最後に見たときには、ここには少年の知るニンゲンが何人も住んでいました。
戸はありませんでした。屋根はあったものの、家の中にも砂が吹き込んでいて、誰もいない家の真ん中には椅子が横倒しになって転がっていました。少年の知っているニンゲンは、家族は、どこにもいませんでした。
その時少年は、ニンゲンはこんなにも簡単に死んでしまうのだということを知りました。
少年は無意識の内に額の傷をぐっと押さえました。そしてキカイリュウをちらりと見ました。
きっとキカイリュウは死というものを遂に知ることは無いでしょう。何故なら、キカイリュウはキカイなのだから。
少年には、キカイリュウがとても自由ないきものに見えました。
死を知らないきみは、いつか死んでしまうぼくを、いつか置いていってしまうのだろう。そう思いました。
そうして、こわいと感じました。
ニンゲンは成長をします。変化します。病気も、怪我もします。
今はまだ、きみと同じものを見ているけれど、いつか必ずぼくたちは違うものに成り果ててしまうでしょう。
それが、とても、とても、こわいと思ったのです。
少年は泣きました。
死んでしまった故郷の上で、声を上げて泣きました。
*
「おじいさん」が死んだ。ぼくを拾って育ててくれた、大切な人が死んだ。
「おじいさん」は土の下に埋まった。「おじいさん」の持っていた思いも、技術も、苦しみも、悲しみも、全部土の下に埋まってしまった。
そうして、今日は決行の日。
「上顎」と「教会」の、戦争が始まる日。
アルカは、「おじいさん」のいなくなった家で、「おじいさん」の作った装置の前に、座り込んでいた。
きっと、もうすぐにでも「上顎」のニンゲンたちが、この装置を取りに来るだろう。「教会」を打ち倒して、まちの外のキカイと戦うために。
「おじいさん」
装置をそっと撫でる。恩人が確かに生きていた痕跡をなぞる。
「ぼくはどうすればいいんですか」
きっとぼくは、装置を渡したくはないんだろう。装置を渡して、「教会」のニンゲンたちが追い出されるのが嫌なんだろう。装置を持って、「上顎」のニンゲンたちがまちの外に死ににいってしまうのが嫌なんだろう。
「上顎」と「教会」。そのどちらにもアルカの大切に思うニンゲンがいて、そのどちらにも傷ついてほしくはないのだから。
真っ直ぐに道の真ん中を歩いていく友人の姿を思い出した。戦争が始まったら、彼は「教会」のニンゲンを追い出すのだろう。そうしてまちの外にキカイを倒しにいって、きっと、そのまま死んでしまうのだろう。
神の意と共にあると言った少女の姿を思い出した。少女の笑顔を思い出した。戦争が始まったら、彼女は良くてこのまちを追い出され、悪ければ、殺されてしまうかもしれない。
でも、ぼくが断ったところで、一体何が変わるというのか。
ぼくが装置を渡すことを断っても、どうせ装置は力ずくで持っていかれてしまうだろう。ぼくには、それを止められるだけの力も言葉もないんだから。
それに、この装置なんかなくたって、いずれ「上顎」は「教会」を追い出す。「上顎」と「教会」が対立しているのは変わらない。
「ぼくは……」
一冊の本が膝の上から落ちた。
壊れてしまいそうな小さな本。
肌身離さず持ち歩いている大切な本。
キカイとニンゲンが一緒に旅をする作り話。きらきらと眩しい幸せな物語。そんなものがあるはずはない。キカイはニンゲンを食べるものだ。キカイとニンゲンが友達になれるわけがない。
これは、ただの、作り話だ。
息がしづらい。天井を見上げる。小さく息を吸い込む。鼻の奥が痛い。涙がこみ上げてくる。かなしい。
作り話が羨ましい。幸せそうな彼らが。羨ましい。存在しない彼らが。
ちがう。
ちがう。ちがう。そうじゃない。
「つくりばなしなんかじゃない……」
必死で吸い込んだ息を吐き出したとき、無意識のうちにその言葉がこぼれていた。
作り話じゃない。
きみはいた。ぼくもそこにいた。確かに存在していた。
涙が一粒こぼれた。
これ以上はもう、否定したくはなかった。
ぼくときみの思い出を。
ぼくときみの長いようで短かった旅路を。
いつかどこかにたどりつけると信じていた、何もかもが輝いて見えたあの日々を。
「おじいさん」は言った。忘れなさい、と。
キカイリュウはもう動かない。もう二度と過去には戻れないのだから、ただの作り話だと思って忘れてしまいなさい、と。
だけどもう、そうするように教えてくれた「おじいさん」はいない。
ぼくにアルカという名前を与えて、「ぼく」から切り離してくれた「おじいさん」は、もういない。
「おじいさん」
装置に向かって、いつも「おじいさん」が座っていた場所に向かって、縋るように問いかける。
返事はない。
「ぼくは、どうすればいいんですか」
床に拳を打ちつける。爪を立てる。
すごく痛い。だけど、胸の中を暴れ回るこの気持ちをかき消してはくれない。誤魔化してはくれない。
くるしいんです。かなしいんです。あれからとても長い時間が経ってしまって、体は成長してしまって、きみといっしょに過ごした日々が嘘だったように思えてしまっても。
それでもかなしいんです。ぼくはあの時の気持ちのまま、変わることができないんです。変化することができなかったんです。
「ぼくはどうすればいいんですか!」
誰にも向けられない叫びの反響は、もう青年だけしかいないこの家の中にわんわんと響いた。
星が、雲から顔を出した。天窓から差し込んだ星の光が、床に装置の影を作った。とても歪な、怪物のような影を。
ーーアルカ。
装置の前の腰掛けに、怪物の影の中に、「おじいさん」の背中が見えた気がした。
お前はお前の好きなように生きなさい。
生きたいように生きて、死にたいように死になさい。
とても寂しそうにそう言った、あの時の背中が。
瞬きをする間に星は雲に隠されて、再び目を開いたときには「おじいさん」の背中はどこにもなかった。
あるのは小さな腰掛けだけ。
生きたいように生きて、死にたいように死ぬ。
青年は口の中で呟く。確かめるように。なぞるように。
だけどおじいさん、
「生きるって何ですか」
ニンゲンは生きているから争うと言ったのはあなたでしょう。生きるというのは結局何なんですか。
「戦うことですか? 従うことですか? 動き続けることですか? 動き続けて、生き続けて、争い続けて、いつか死んでいくことですか?」
土の匂いがする。生々しい匂いがする。
額が痛む。今はもうふさがった傷から、赤黒い血がにじみ出ている。
とてもとても、気持ち悪くて、おそろしい。
「だったらぼくは」
青年は装置の中心を見上げた。何年も前、青年がまだ少年でいられた頃、ずっといっしょに旅をして、少年を置いて永い眠りについてしまった、きみの心臓を。キカイリュウの、心臓を。
「ぼくは――」
青年は装置に歩み寄り、足をかけてよじ登った。「おじいさん」がいつもそうしていたように。
青年の目の前には、こころの形をしたきみの真ん中が。
「ねぇ、きみはそこにいるの?」
そっと触れる。金属の感触。いのちのないキカイの感触。
「今でも本当に、眠っているの?」
触れた指先で、きみの心臓の音を聞く。きみの心臓はぴくりとも動かない。だけどぼくは信じたい。信じてもいいのなら。
「違っていても、変わってしまっても、成長しても、おかしいと言われても」
きみの心臓に手をかける。装置に繋がれた管を優しく外していく。
「それでもぼくは、きみといっしょがいいよ」
ほんの少し力を込めると、キカイの心臓は、軽い音を立てて、簡単に装置から外れた。青年は手の中のそれを、しばらくの間、見つめていた。
その夜、かつての友達の心臓を持って、青年はまちを逃げ出した。
[2016年 03月 12日]