「語り部の見た世界」06

 装置の完成の為には多くのキカイの心臓が必要だと「おじいさん」は言った。
 アルカは「おじいさん」の言いつけどおりにキカイの墓場から多くのキカイの心臓を持ち帰り、「おじいさん」は研究に没頭した。
 順調に進む装置の開発とは対照的に、今日もまちの季節は、ゆるゆると巡っていく。
 そんなある日。温い光を放つ日が、ちょうど中天に差し掛かった頃に、奇妙な家の戸は軽やかに叩かれた。
「こんにちは」
「あ、きみは」
 アルカが戸を開けると、帽子を被った少女が、「教会」の「呪い子」がそこにいた。
「大丈夫なの? こんなまちの奥まで来ちゃって。危なくない?」
 少女を家の中に招き入れながら、アルカは尋ねる。
「実はたまにこっそりまちには来ているのよ」
 内緒だけどね、と少女は続ける。
「でもよく僕の家が分かったね」
「分かるわよ。だってあなたは有名だもの」
「有名? 僕が?」
「だってあなた、変わり者の科学者先生のお弟子さんでしょう? 「教会」のニンゲンでもないのに本を読めるのなんて、あなたと科学者先生ぐらいだもの。あなたは百歳に届くようなご老人には見えないしね」
「あはは、それもそうだ」
 戸棚から茶器を取り出しながら、少女に問いかける。
「今日はどうしたの? 何か用があったんじゃないの?」
「あら、用事がなければ来てはだめなの?」
 予想外の返答に、アルカは答えに困って押し黙った。
「ふふ、冗談よ。あのお話の続きを聞きたくて来たの」
「そういうことなら喜んで」
 少女を小さな椅子に座らせて、アルカは語り始めた。
ふたりの旅の物語を。キカイとニンゲン、その差を知っていく物語を。
細やかな風景を。土を、風を、空を、まちを、滲むような夕焼けの色を、丘の上から見上げた星々を。
少女は小さな机の上に両肘をつきながら、その物語を聞いていた。
「結末を語ってもらうのが楽しみね。ふたりぼっちの旅人は一体どこに辿りつくのかしら」
 期待を膨らませる少女を見て、アルカは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめん、それは無理なんだ」
「どういうこと?」
「この物語はね、最後の頁が無いんだ」
 少女は首を傾げた。
「それは……、本が破れているということ?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけど」
 アルカは小さなその本を指先で優しく撫でる。
「この物語にはまだ、結末が書かれていないんだ」
 少女は不思議そうな顔をした。そしてアルカの言葉の意味をさらに尋ねようとしたその時、かん、かん、と「教会」から昼を告げる鐘の音が響いてきて、少女は慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい、そろそろ帰らないと」
 少女は大人びた仕草でアルカに向かって優雅に一礼した。
「ではまた今度」
「うん、またね」
 呪い子の少女は「教会」へと続く大通りを軽やかな足取りで走り去っていった。
 茶器を片づけて「おじいさん」の手伝いに戻ろうとした時、入口の戸が前触れ無く勢いよく開かれた。
「よお、アルカ! いるか?」
「いるけど今は暇じゃないよ。探検の話とかなら今度にしてね」
「はっは、大丈夫! 今日はそういう話じゃないんだ」
 手を止めて顔を上げると、喜色満面のイラの顔がそこにあった。
「何かいいことでもあったの?」
「ふふ、聞いて驚くなよ。実は俺、「上顎」に入ることになったんだ!」
「……えっ」
 アルカは持ち上げかけていた工具を取り落としそうになった。
「えっと、おめでとう」
「なんだよ反応悪いなー、もっと喜んでくれていいんだぞー」
 イラはアルカの背中をばしばしと叩いた。
「ついに俺も一人前の大人だって認められたわけだ! 俺はなあ、「上顎」に入って誰よりも強くなって、このまちを守るニンゲンに、いんや、このまちを救う戦士になるんだぜ!」
「ち、ちょっと待って、戦士ってどういうこと?」
 戦士。戦う。誰と?
 不穏な予感が形を持って、背後からじっと見つめてくるようだった。
 どうか違っていてほしい。
 そんな願いを込めて、アルカはイラの顔を見た。
「誰にも言うなよ……」
 イラはアルカに顔を寄せて、声を潜めて言った。
「「上顎」と「教会」の、戦争が始まるんだよ!」
 アルカはひゅっと息を呑んだ。そうであってほしくない、最悪の想定が今形になろうとしているのだと知った。さっき会ったばかりの少女の顔が脳裏に浮かんだ。
「そう……戦争、が……」
 アルカの顔色が変わったことに、浮かれきったイラは気づかなかった。
「俺はやるぞ、アルカ! 奴らに目に物見せてやる!」
 そう言って張り切るイラは本当に嬉しそうだった。
 どうして好き好んで争うのだろう。
 アルカには、理解できなかった。
 「おじいさん」は生きているから、違ってしまうから、ニンゲンは争うのだと言った。
では生きるとは何なのだろう。違うことはそんなにいけないことなのかな。
 希望に目を輝かせるイラに、アルカは尋ねずにはいられなかった。
「ねぇ、イラ。生きるって何だと思う?」
 イラは振り返ると、拳を握って、力強く言った。
「生きることは戦うことだ! 自分が正しいって証明することだ!」
 揺るがないイラの言葉が、アルカにはとてもとても眩しく見えた。彼はやっぱり、道を堂々と歩けるニンゲンだから。
「そう……」
「じゃあな! 上顎に入ったらお前も誘いにくるからな!」
 それだけを言うと、イラは来た時同様に、勢いよく飛び出していった。
 作業着姿の「おじいさん」が装置の部屋から出てきて顔を覗かせた。
「「上顎」、か」
「はい。イラが、「上顎」に入るみたいです」
 上機嫌のまま走り去るイラの後ろ姿を、二人は並んで見送った。
「そうか、ではあの子もこの先、装置の部屋には近づけないようにしなくてはね」
「おじいさん?」
 その発言の意味が分からずアルカは聞き返したが、「おじいさん」は何も答えてはくれなかった。
 その後「おじいさん」はいつも通り、アルカを連れて装置の部屋の中に閉じこもった。
 キカイを無力化する装置はもう完成に近いように見えた。だけど、最後の仕上げの段階で、「おじいさん」は異様に手間取っていた。
 今日も「おじいさん」は装置に部品をつけては外していたが、アルカの目には数日前から、装置の状態に変化がないように見えていた。「おじいさん」が意味の無い同じ作業ばかりを繰り返しているように見えていた。
「おじいさん、どうして作業を進めないのですか?」
 耐えきれなくなってそう問うと、「おじいさん」は、ぎょっとした顔で振り返った。
「えっ、とあの、ここ数日同じ作業を繰り返しているように見えたので……」
 しどろもどろになりながら答えるアルカを「おじいさん」はじっと見つめて、その後大きく息を吐いて手に持っていた工具を机に置いた。
「……この装置は実はもう完成しているのだよ」
「えっ」
「あとはこの心臓を中心に繋げるだけなのだ」
 「おじいさん」は机の上で動かない、小さなキカイの心臓を指した。
「ではどうして完成させないのですか? ……もしかしてイラを装置に近づけさせないのと関係があるのですか?」
 「おじいさん」は髭を撫でながら、しばらくの間考え込んだ。黙ったまま、部屋の隅まで歩き、また装置の前まで戻ってくるのを繰り返していた。
 言うべきか言わないべきか迷っているのだ。アルカにはそう見えた。
 「おじいさん」が答えてくれるまで、アルカはじっと待っていた。
「アルカ。この装置を使うべきだと思うかね?」
 突然投げかけられた問いにアルカはきょとんと目を丸くした。
「私は自らの科学が正しいと信じて、この世界の真実を追究し、ニンゲンの技術を革新してきた。だがな、アルカよ。私は間違っていたのだ。私が科学と正義の名の下に迫害してきた者たちの認識こそが、世界の真実に繋がる鍵だったのだ。私は、彼らを滅ぼしつくしてしまった今になって、それに気付くことができたのだ」
 「おじいさん」の語り口には徐々に熱がこもっていった。それは、今まで一人で溜め込んでいたものを一息に吐き出しているようだった。
 だけどその内容は、アルカには難しすぎて、ほとんど理解できないでいた。
「私が迫害し滅ぼした彼らの名は、アルカ学派という」
 急に自分と同じ名前の集団が話に上がり、アルカはびくりと肩を震わせた。
 もしかして、自分の名前はその学派から取ってつけられたのか。でも何故?
「彼らに替わって、私は神を完成させた。POTESTASを、いずれまた神を殺す者たちのために」
 POTESTAS。
 それはあの日遺跡で彼女が語っていた神様の名前ではなかったか? 「おじいさん」は科学者のはずなのに。
 じゃあ神様って何なんだ。「おじいさん」は神様を作ったのか?
 あまりにも一度に与えられる情報が多すぎて、アルカは「おじいさん」の話を遮ろうとした。
「あの、おじいさん……」
「理解できなくともいい。どうか聞いておくれ」
 疑問を口にしようとしたアルカを押し切って、「おじいさん」は話を続ける。
「科学とは力だ。「箱」から取り出された智慧の具現化だ。だが科学はニンゲンのものではない。科学を取り出すその根本の原理を誰も説明できはしない。だからこそ私は恐ろしい。私は、再び間違えてしまうのが恐ろしいのだ」
 「おじいさん」は装置の前に立って両手を広げた。
「私はニンゲンの未来を思って、私たちが滅ぼしてしまった彼らへのせめてもの罪滅ぼしのために、この装置を作り上げた。だが、ニンゲンの未来のための行動が、即ちニンゲンの未来のためになるとは限らない」
 何故「おじいさん」はこんな話を僕にするのだろう。アルカは理解できないまま、ただ黙って「おじいさん」の話を聞くことしかできなかった。
 そんなアルカに向かって、最後に「おじいさん」は問いかけた。
「アルカ、お前はどう思う? 我々ニンゲンはこの装置を使うべきだと思うか? それとも――全てを次の「箱」に託し、次の巡りを待つべきなのだろうか?」
 縋るような視線を受け取って、アルカはやっとこの問いが自分に向けられているのではないと気づいた。
 「おじいさん」は、アルカに尋ねているのではなかった。きっと、アルカの向こう側に重ねて見ている「アルカ学派」に尋ねているのだ。
 だけど、アルカは「アルカ学派」じゃない。「おじいさん」と同等の科学者ですらない。ニンゲンの未来のことなんて考えたこともない、ただの大人になりかけた子供だ。
 だから、その問いの答えを知るはずもなかった。
「……わかりません。僕には、決められません」
 アルカは、目を伏せてそう答えるしかなかった。
 その瞬間、「おじいさん」ははっと我に返ったようだった。その時になって初めて、自分がアルカに対して問いかけているのだと気付いたようだった。
「いや、すまない。お前に聞くべきことではなかったな」
 片手で顔を覆ってそう短く謝ると、「おじいさん」はふらふらとおぼつかない足取りで、装置の前の腰掛に座り込んだ。
 アルカ学派。「おじいさん」がかつて滅ぼしてしまったというニンゲンたちの名前。
 アルカはなんとなく理解してしまっていた。
 自分の名前に込められた思いも。「おじいさん」が自分を拾った理由も。きっとそれは罪滅ぼし。
 「おじいさん」はきっと許してほしいんだ。もう存在しないものたちに。アルカ学派に、他の科学者たちに、ニンゲンの未来に。
 重い。
 見えない力がアルカの肩にのしかかった。見えない過去がアルカの肩にのしかかった。
 科学の過去も、「おじいさん」の過去も、ニンゲンの未来も、自分には関係のないものだったはずなのに。
 重い。とても、重い。
「その名前を背負わせるような真似をしてしまって本当にすまなかった」
 宙に投げかけるような、ぼんやりとした「おじいさん」の声。
 急に押しつけられた思いに潰されそうになっていたアルカの気持ちを、その言葉はほんの少しすくい上げた。
 「おじいさん」は装置の前の小さな腰掛けに、アルカに背を向けて座っていた。
「アルカ、お前はお前の好きなように生きなさい」
 その声色はまるで、私と同じようにはなるなと言外に言っているようだった。
 科学を使う者がいなくなっても科学者を続ける。聞く者がいなくとも声を張り上げて演説を続ける。たとえ頭のおかしい変人奇人と蔑まれても、たった一人でも笑うことができる。今まであんなに自由に強く生きているように見えていた「おじいさん」が、初めて、色々なものに雁字搦めにされているように見えた。
 「おじいさん」は今、ただの老人だった。
「生きたいように生きて、死にたいように死になさい」
「……はい、おじいさん」
 その言葉の意味もうまく噛み砕けないままに、アルカにはそう答えることしかできなかった。
 腰掛けに座って肩を落とす「おじいさん」の後ろ姿は、急に何十歳も老け込んだように見えた。


[2016年 03月 05日]

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