2.キカイリュウの見た世界 「キカイのはかにて」


 地面に穴があいていた。ずいぶんと古い穴のようだった。大きさはわたしがやっと入ることができるくらいで、穴の中には一枚岩で作られた緩やかな傾斜が穴の奥に続いていた。
 きみは腹の中から身体を乗り出して、穴の中をランタンで照らした。ランタンの光で穴の中は日が沈んだときの小さな光たちよりもずっと明るく照らされて、大きく伸びたわたしときみの影が歩く度にゆらゆら揺れていた。
 その場所は、「森」のようにいつの間にかできたものの類では無いようだった。外から砂が吹き込んではいたけれど、床も壁も天井も継ぎ目なく繋がったひとつの岩だった。規則正しく鳴り続ける音もたくさんのキカイもいなくて全然違うけれど、その場所はキカイの巣のような作りをしていた。
 下へ向かう緩やかな傾斜をランタンの明かりを頼りにしてゆっくり歩いていくと、やがて少しだけ明るい出口が見えた。
 穴のはしの岩の四角い枠をくぐると、わたしたちの目の前にはとても広い空間が広がっていた。
 地下のその空間には、湿った土があった。壁からは澄んだ水が流れていた。草が生えていた。背の低い木が生えていた。色々な小さなものたちが木の中に、水に、葉の裏に、足元に住んでいて、天井にあいた穴からは、柔らかい光がこぼれていた。
 「森」のように木があって小さなものがたくさん住んでいたけれど、わたしにはなぜかその場所は「森」ではなくて、箱の中のように見えた。
 岩の上から一歩踏み出すと、わたしの足が湿った土を踏んだ。足をどけると、わたしの足のかたちに地面がへこんでいた。きみはわたしから飛び降りて、わたしのまわりをたくさん歩いた。わたしときみには湿った土がたくさんはねて、地面にはたくさん小さな足のかたちのあとがついた。きみは「えがお」だった。わたしも「えがお」になりたいなと考えた。
 湿った土を出ると、石畳の道があった。石畳は端から植物に隠されてしまっていた。わたしが歩くとかたい音がした。きみが歩くと小さい音がした。
 地下空間の一番奥には古い建物があった。この場所の入口と同じように石で作ってあったけれど、入口はとても小さくて、わたしが入ったら壊れてしまいそうだった。
「みてくるね」
 そう言ってきみは、建物の中に入っていった。小さくなっていくきみの足音とカンテラが揺れる音を聞きながら、わたしは頭の位置にあった植物をたべた。おいしかった。
 おいしい植物を探して建物のまわりを歩き回っていると、むこうに何か大きいものがあるのをわたしは見つけた。小さな石の道の先、木の無い場所の真ん中に、ひとつのキカイが座り込んでいた。
 キカイはもう動かないようだった。キカイの金属の表面には苔があって、その頭部には羽をもった何かがふたつ住んでいた。
 わたしはそれを見たことがあるような気がした。さらに近付いてわたしは首をかしげた。考えた。わたしはわたしの内蔵された情報に問いかけた。すると、意図したのとは全然違うところから、とある確固たる認識がわたしにもたらされた。
 それは――「わたし」だった。
 体構成も識別番号も何もかもが違うのに、わたしはこれを「わたし」だと認識していた。なぜ。とわたしの中の情報に尋ねても答えは返ってこなかった。疑似意識の外側の、いつからあったのか分からない領域外の情報が震えていた。わたしはそれを知りたいと考えた。わたしの内側は生じた疑問を処理しようとしていた。
 わたしは「わたし」に近付いた。「わたし」の細かい情報を認識するごとに、わたしの内側がぎいぎい軋む音がした。その理由をわたしは解き明かすことができなかった。その「わたし」の腹の中には、何かが入っているようだった。わたしはそれを覗き込んだ。わたしはそれを認識した。わたしは「それ」を認識した。
 そのとき急に夜になって、わたしの疑似意識は閉じられていった。

 朝になって、わたしは目覚めた。
 視覚が奇妙だった。たくさんの不透明な何かにわたしは包まれていた。わたしはそれが霧だと何故か確信していた。
 霧で色々なものが見えなかったけれど、きみだけははっきりと見えていた。足下にはきみが戻ってきていた。きみはなみだを流していた。
 きみに教わったことを思いだして「こわかったの?」とわたしはたずねた。きっときみは、あの古い建物の中でとても「こわい」ものを見たのだろうと推測したから。
「こわかった、こわかったよ……」
 きみはわたしにしがみついて、たくさんたくさんなみだを流した。
 わたしは霧ばかりのこの場所を見回した。すると霧の向こうに影が見えた。わたしと同じくらいの大きさの影だった。わたしは眠る前にそれを見たような気はしていたが、それが一体何であるのかは分からなかった。認識だけが抜け落ちていた。
「みてはだめ」
 影の前に腕を広げたきみが立った。きみがどんなかおをしているのか、見えているのに、霧が邪魔して見えなかった。
「ここはなに?」とわたしはたずねた。
「ここはおはかだよ」ときみはこたえた。
「おはかとはなに?」
「死んでしまったものがいるばしょだよ」
 そのことばにわたしの記録のどこかが震えたけれど、それがどこなのかはわたしには分からなかった。
「はやくいこう」
 きみはカンテラを持って歩き始めた。草に隠された道を、草を踏みつぶして歩きだした。
「きみはここにいてはいけないんだ」
 わたしはきみがどうしてそういうのか理解することができなかったけれど、きみといっしょに歩きだした。
 わたしたちはまた、旅をはじめた。


[2016年 02月 11日]

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