3.最後の鷲王 02

「アクィラ五世は、ケルウスの子孫を大逆の罪で処刑した。ケルウスとは初代アクィラ王の従者の名である。かの事件で王の信頼を失ったケルウスの一族は、五世の代にいたるまではそれでも貴族として存在していた。しかし、王家への恨みは一族に根強く残っていたのだろう。これ以後、ケルウスの子孫たちは奴隷へと身を落とした――」
 アクィラ九世は淡々と記憶を読み上げ、書記官もまたそれを羊皮紙へと淡々と記していく。二人の間には他に会話はない。
 元老院が言うには、「箱」から得た神託を、歴史書として記録するのだという。気の早いことに元老院は崩壊を乗り越えた後のことを考えているのだ。まだ崩壊を乗り越える手がかりも、いつどこから崩壊が起こるかも分かっていないというのに。
「王よ。武芸のお稽古の時間でございます」
 扉の向こうから控えめに声がかけられる。
「……分かった。すぐに行く」
 王は渋々といった様子で席を立った。

 王つきの武官であるイグリの後ろを、王は不機嫌そうに着いて歩く。
 アクィラ九世には武芸の才能がない。剣や矛、槍が持ち上げられないのはまだ仕方ないとしても、木の剣や棒での打ち合いですら、成長らしい成長を見せたことがないのだ。周囲からは「成長した」と声をかけられることもあるが、代々の王の記憶を持つ九世には、それは世辞にすぎないことが分かってしまっていた。
 その上、毎日のように行われる「箱」の儀式の直後に武芸の稽古はあるため、王はいつも消耗していた。
 王は毎日この時間が憂鬱だった。
 だが、このイグリのことはそこまで嫌いではない。
「イグリ。お前も災難な奴だな。お前もこのような子供のお守りとして城に押し込められたくはなかっただろうに」
「そのようなことはございません、王よ。王に仕えられることはこのイグリ、至上の喜びでございます」
「本当か? 戦場で剣を振るいたくはなかったのか? 騎竜を駆り、敵を討ち取り、武勲を上げたくはなかったのか?」
「それは……」
「私に嘘は通じない。子供だましの言動は止めることだ」
「む……」
 そうやって言葉でいじめてやれば、素直に反応を返してくる。喜びも、悲しみも、不満も、大人らしく消化できずにすぐに顔に出る。イグリはそんな男だった。

「……そういえば王は騎竜に乗ったことはありませんでしたな!」
 突然そう言い出したイグリに引きずられていった先には、一頭の騎竜が柵に繋がれていた。
 騎竜とは、トカゲによく似た二本脚の竜のことだ。竜という名はついているが、神話で語られるところの竜のような知性はなく、簡単な調教で飼い慣らすことができる。通常、騎竜は大人の背丈よりも大きいものだったが、そこに繋がれている騎竜はイグリの背丈より少し小さい程度の身丈しかしかなかった。
「まだ若い個体ですが、貴方の背丈にはちょうどいいでしょう」
 そう言うとイグリはその騎竜に鞍を載せ、王の前まで引っ張ってきた。
 王の頭の二倍はありそうな騎竜の口が目の前まで迫り、アクィラ九世は後ずさった。
「おや、もしかして騎竜はお嫌いですか?」
「違う! こ、怖がってなどいない! この程度、「箱」の記憶でいくらでも経験してきたわ!」
「そうでしたか、それは失礼いたしました」
 騎竜と目が合う。荒い鼻息が顔に吹きかかる。王は足が竦んでしまっていた。
 大丈夫だ。この程度の騎竜、記憶の中では何度も乗りこなしてきた。
 騎竜はぱちぱちと何度もまばたきをしながら、興味深そうに王を観察しているようだった。上から覗き込み王の髪に触れる。大丈夫だ。こいつは落ち着いている。背を屈めて、王の服へと体をすりつける。鋭い牙が見えた。あの前足も伸ばせば私の首に届くだろう。騎竜はまっすぐに私を見る。口を開き、真っ赤な舌が見え――そのまま鼻面をぺろりと舐められた。
「ふっ、ふぐっ……」
 王はよろめいて尻餅をついた。
「王、大丈夫ですか!」
 イグリは慌てて騎竜を柵に繋ぎ直す。王は舐められた鼻の頭を押さえながら、茫然としていた。
「ふ、くくく。っと、すみません。まだ貴方には早かったようですな」
「……イグリ。さっきの仕返しか」
「ははは。まさかそんな」
「私でなければお前を奴隷に落としているところだぞ」
「もしそうなったら、貴方の望み通り、前線へ出て武勲を上げてみせましょうか」
「む……」
「ははははは」
 アクィラ九世は周囲のあらゆる人間から、常々軽んじられてるとは感じている。だが、この男のそれについては、何故かそれほど不快に思うことはなかった。
 だからアクィラ九世は、イグリのことがそこまで嫌いではないのだった。



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