2.箱の記憶 04

「王、王! しっかりしてください!」
 私は目を開いた。
 息を吸う。大地のにおいがする。熱と湿り気のにおい。草いきれのにおい。
「ケルウス……?」
 声が出た。傍らでは従者が心配そうに私を見下ろしている。戻ってきた。私は私がアクィラ王である場所に戻ってきたのだ。
「ここは、私達は……」
 私はそれまでの「アクィラ王」達を思い出して呻いた。
 最初は毒を飲んで死んだはずだ。彼は私と同じアクィラ王だった。同じように従者と共に育ち、同じように兄に疎まれていた。あれは私だった。
 次は短剣で刺されて死んだはずだ。あれも私だったはずだ。その次はどうだっただろうか。私であったことと無念のまま死んだことだけは間違いない。その次は、その次は、その次は――
「ケルウス……、私は、誰だ……?」
「王?」
「助けてくれ、もう嫌だ、何回私は死んだ、私はもう死にたくない!」
「落ちついてください、一体何が」
「嫌だ、私は誰だ、また死ぬのか、嫌だ嫌だ」
 幾十回、幾百回経験した「アクィラ王」の死が私を侵していた。それらは膨大な流れとなって私を押し流そうとした。木が、「森」が掻き消え、無数の光の渦が視界を満たす。その間の記憶はほとんどない。ほんの短い間だったのか、それとも途轍もなく長い時間だったのか。ただケルウスにしがみつき、意味の無いことを叫んでいたように思う。
「……アクィラ!」
 ケルウスの鋭い声で私は正気づき、ぼんやりと彼を見上げた。
「アクィラ王、何があったのですか」
「……な、何度も殺されたのだ。あれは私だ。私の未来だ」
「未来……、「先見」の!」
「私は兄王に殺される! 死にたくない、死にたくない……」

 我等は神の「箱」を抱えて「森」の中心から逃げ去った。最初、ケルウスは「箱」を置き去りにしようとしてたが、私が強く反対したのだ。
 中心から離れるほどに、「アクィラ王」の幻影は私の中から薄れていった。視界は緑あふれる「森」の風景を取り戻し、あの生温かく居心地の良い水の幻は遠ざかっていった。
 しかし、幻影は薄れども消えてはいなかった。私は、無数の目が私を見ているのを感じていた。姿の見えぬ経験たちが、私の背中を押し進めていた。
 自分たちと同じ道を、私もまた辿るように。

 我等が「箱」を持ちかえると、兄王はこれまでとはうってかわって親しげに、そして敬意をもって接してきた。
「「森」から本当に生きて帰ってくるとは! 「先見」の力は本物だったか! いや、信じていないわけではなかったが」
「これからは一人の臣として私を扱いなさい。兄だからといって遠慮をすることはない。誰も帰ってこられないとされる「森」に行き、父王を見つけたばかりでなく、父王ですら見つけられなかった宝を持ち帰ったのだ。お前は神に認められた本物の王なのだろう。私はお前のような本物の王に仕えられることを誇らしく思う」
 「箱」に見せられた経験から、それらが偽りの言葉であろうことは分かっていたが、敬愛する兄王からそれだけの言葉を貰えるのはなかなかに嬉しいものでもあった。
 しかし、兄王が早速祝いの宴を催すと提案すると、私の中の「アクィラ王」達は強く拒絶を示した。快活に笑う兄王ミルヴームの姿に、いつか見た「アクィラ王」達の兄王の姿が重なる。この笑顔のまま、毒杯を持った女を遣わせた兄王の姿が。
 旅の疲れが出たのだと言い訳し、私は自らの領地へ逃げ帰った。そこから先は、ひどく苦痛な日々が私を待っていた。
 女が恐ろしかった。侍女を不用意に近づけぬようにした。
 刃が恐ろしかった。槍も、矛も、護身用の短剣ですら、視界に入らぬところへと遠ざけた。
 一人きりになり、背後から刺されるのが恐ろしかった。周囲を衛兵に常に固めさせた。
 だが、正式に王となるための式典が近づいても、本当に信を置ける者はケルウス以外に無なかった。私の心はまるで熟れた果実が腐っていくかのように、おぞましく歪な姿へと変わっていった。
「ケルウス、私はもうだめだ。あれほど敬愛していたはずの、彼がこの国の王となるためならば殺されてもいいと思っていたはずの、兄王が恐ろしくて仕方がない。頼む。私を逃がしてくれ。私はもうここにはいられない」
「……以前お話しした辺境の一族に協力を求めましょう。アクィラ王、私は貴方を逃がしきってみせます」
 ケルウスと二人きりの時、そうやって弱音を吐くとケルウスは少し躊躇った後、何かを決意した顔で大きく頷いた。その後、彼は十数日もの間姿を消した。


 ケルウスが戻ってきたという報を受け、私は急いで彼の迎えに走った。信用できる者のいない生活は、私の認識を歪ませるのに十分すぎるものであった。兄王を警戒し、従者たちを、臣を警戒し、居所から一歩も出ない生活を送っていたのだ。
「アクィラ王。件の一族からの使者をお連れしました」
 旅装束に身を包んだケルウスが誇らしげにそう言う。――その後ろに、一人の女が立っていた。
 それは、あの女だった。褐色の肌、顔を覆う布、そこから垣間見える恐ろしいほど静かな目。
「……お前もか」
 無数の「アクィラ王」が噴き出る感覚があった。視界が狭まり、星空が辺りを満たす。飛び去っていく星々の一つ一つが、あの女に殺された「アクィラ王」の認識を浸み込ませていく。
「お前も私を裏切るのかケルウス!」
「王、なんのことですか!」
 毒を飲ませたのは誰だ。あの女だ。
 短剣で刺したのは誰だ。あの女だ。
 矢を射かけさせたのは。
 水中へ突き落したのは。
 首を絞めたのは。
 兄王を誑かしたのは。
 あの女だ。あの女が全ての元凶だ。何故ケルウスがあの女とともに現れた。あいつは私を殺すつもりだ。
 もはや「アクィラ王」と私は同一であった。
「衛兵! その二人を捕らえよ!」
 慌ただしく現れた衛兵たちによって、二人は地面へと押さえこまれた。
「王よ! 誤解です!」
「うるさい黙れ黙れ黙れ!」
「……「箱」の盗人よ」
 喉元に刃を突き付けられたまま、女は満足そうに微笑み、アクィラ王を見る。
「なっ、盗人なものか! あの「箱」は私のものだ!」
「そうだ。それはお前が持つべきものだ。だが私たちはそれを阻止したかった。私も、過去の私も、もう一つ過去の私もだ。お前も見ただろう。過去の私達がお前を殺したところを」
「お前は何者だ。何のために我等を殺したのだ!」
「実験だ。私はもう一つの「箱」の所有者だ。私は既に「箱」に見つかっている、そしてお前も」
「殺せ! その女を今ここで殺せ!」
「それでいい。これで認識は繋がらない。我等は断絶せねばならない。では「箱」の所有者よ、二千年後にまた会おう」
 剣は振り下ろされ、女の首が飛ぶ。
 そうして反転――



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