2.箱の記憶 01

 ゆっくりと目を開く。あたたかく熱を含んだ日光が、顔に、手に、降り注いでいる。よく日に焼けた腕が見える。手首には木をくり抜き装飾を施した黒い腕輪がはまっている。身じろぎすると、その腕もぴくりと動いた。私はそこでようやく、それが己の腕だと認識した。
 しかし、何かがおかしい。私は同時にそうも考えた。だが何がおかしいのか、私は己に説明することができなかった。
「王、……王?」
 誰かが私を呼んだ。はっと顔を上げると、己の座る石の玉座の横には、一人の従者が控えていた。
「本日は、兄君との会食がございます」
 静かにそう告げる従者の声。
 傍らには腹心の部下、遠方には私を疎ましく思う兄王。そして会食の席で告げられるのは――
 そうだ。
 声に出さないまま、私は納得する。
 私はこれを知っている。私はこの後、父王捜索の命を受け、「森」へと赴き、父王の遺体を見つけるはずだ。

「私はまだ諦めていない」
「この国にはまだ、父上が必要だ。「先見」であるお前が、この国にとってどれだけ重要であるかも理解している。だが、父上の居場所を知ることができるのもまた、「先見」であるお前だけなのだ」
「行ってくれるな、アクィラ」

 ことのあらましは果たしてその通りになった。私は父王捜索の命を受け、「森」へと赴き、父王の遺体を見つけ出した。
 だが最後に一つだけ差異があった。
 父王の遺体を見つける前、兄王から借り受けた護衛たちは一人も姿をくらまさなかったのだ。
「おいお前たち、何故逃げなかったのだ」
 父王の遺体を見つけた後、アクィラはそう問うた。しかし護衛たちはまるで何も聞こえていないかのように、父王の死を悼むのみであった。
「――――」
 私は従者の名を呼んだ。
「なあ聞こえていないのか、――――」
 私は確かにそう言った。しかしアクィラ王の口からその言葉が出ることはなかった。従者はアクィラ王を振り返らない。「アクィラ王」と「私」はその時同一ではなかった。
 ざわめきが私の内側を満たした。私は腕を動かそうとした。しかし、腕は動かなかった。手も足も指の一本すらも、私の思うとおりに動くことはなかった。
 やがてアクィラ王は、「森」の中心、始まりの場所への先導を始めた。私にはそれを止める術はない。私はアクィラ王の行動に身を任せることにした。
 それはとても心地よい感覚だった。そしてとても覚えのある感覚でもあった。
 流される。流れの中の船のように。人肌の水の中に生まれたあぶくのように。己に限りなく近い彼に全てを任せ、私は「森」の中心へと辿り着いた。
 そこには、巨大な「王」がいた。
 そこには、「王」より出でた「箱」があった。
「これを持ち帰れ。これこそが我らが探していた神の「箱」だ」
 箱の中身を見たアクィラ王は、護衛たちにそう命じた。それが二つ目の差異だった。
 アクィラ王が箱を持ち帰ると、兄王は別の部族からの使者を歓待しているところであった。大方、既にアクィラ王は死んだものと考えて、他部族との関係を作ろうとしていたのだろう。少なくともアクィラ王はそう考えていた。
 しかし兄王は、無事に父王の遺体を見つけ戻ってきたアクィラ王を見るや、これまでとはうってかわってアクィラ王に親しげに接するのであった。
「やあ、「森」から本当に生きて帰ってくるとは! 「先見」の力は本物だったか! いや、信じていないわけではなかったが」
「この女たちは南方の森を奉ずる部族からの貢ぎ物だ。お前こそが次王であるのだ。これらは全てお前のものだろう」
「これからは一人の臣として私を扱いなさい。兄だからといって遠慮をすることはない。誰も帰ってこられないとされる「森」に行き、父王を見つけたばかりでなく、父王ですら見つけられなかった宝を持ち帰ったのだ。お前は神に認められた本物の王なのだろう。私はお前のような本物の王に仕えられることを誇らしく思うよ」

「兄上……」
「こらこら早速兄扱いしてどうするのだ」
 はははと快活に笑う兄王はこれまでとはまるで別人のようだった。

 真夜中まで行われた宴席をどうにか切り抜け、アクィラ王はやっとのことで寝台まで辿り着いた。常ならば適度に断る酒を、今日ばかりは断りきれず、アクィラ王はひどい酩酊状態にあった。
 献上の品として渡された女のうちの一人が、豪奢な杯をアクィラ王に手渡す。
「アクィラ王、どうぞこちらを」
「……ああ、ありがとう」
 アクィラ王は渡されるまま、金の杯に満たされた水を一息に呷った。
 妙な味の水だ。
 そう感じた次の瞬間、アクィラ王は強く咳込み、血を吐いた。咳はなかなか止まらず、全身に汗がにじみ、手足がひどく震えだした。
 驚いて逃げ去ったのか、女の姿はその時既にどこにもなかった。
「――――! ――――!」
 アクィラ王はごぼごぼと水音の混じる声で、従者の名を必死で呼んだ。
 だが返事はない。従者はまだ宴席の興奮冷めやらぬ方々への対応に追われているのだ。
 なんとか自力で助けを呼ぼうと立ち上がるも、床に倒れ伏す。酷い呼吸音がやけに大きく響く。
 私は一人で死ぬのか。
 こんな死に方をしたくないがために、嘘をつき、友を騙し、全てを隠して生きてきたというのに。






「そうか。あいつは死んだか……」
 私は目を開く。
 自由にならない視界の中、私は辺りを確認する。その場所には見覚えがあった。私が二度招かれた場所。そして聞き覚えのあるこの声。
 私は兄王の中にいた。
 部下からの報告を聞き、兄王は確かに笑んでいた。
 そうして反転――



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