翼を窄め、羽ばたきを止める。それは勢いのままに水中へ潜り、すぐに海面へと姿を現した。一糸纏わぬ女性の体に鋭い爪持つ猛禽の足。その鉤爪には鱗持つ海のものが握られている。高く放り投げられた海の眷属を、翼持つ女性たちが取り合うのを見て、僕はそっと顔をしかめた。
岩場の多いこの一帯はセイレーンたちの漁場だった。
セイレーンは僕たちよりもひとに近い生き物だ。少なくとも彼女達はそう自負している。たとえその歌声でひとを惑わし、鋭い歯で肉を喰らう存在であるとしてもだ。
僕はそんな彼女たちのすぐそばで息継ぎの練習をしていた。潮に流されて僕たちの住処がこの場所の海中へと動いてしまったのだ。水面に顔を出す僕の遥か下では、今でも仲間たちがゆらゆらとこちらを窺っていることだろう。
僕はぱくぱくと口を動かす。相変わらず言葉は出ない。口から吸い込んだ空気が喉から抜けていく音がする。いつもなら僕を海中に押し返してくれる師匠は僕を見下ろすばかりだ。
ふと、くすくすとさざめき合う声がした。見ると、岩場の上に陣取ったセイレーンたちがこちらを指して何事かを小声で言い合っていた。彼女たちの言葉は分からないが、きっと僕たちを嘲笑っているのだろう。
服を纏いひとの姿をした師匠と、海の者の姿をした僕を見比べているのだ。
僕は急に恥ずかしくなって、海の中へと逃げ帰ろうとした。
師匠が大音声でひとの言葉を喋ったのはその時だった。師匠の声は海原にびりびりと響き渡り、セイレーンは海鳥の声を上げながら、散り散りになって逃げていった。
僕は何かを言わなければと思った。喉を押さえる。息を吸い込んで、喉からは出さず、口から息を吐く。落ち着いて、たったそれだけのことをした。
「あ」
声が出た。意味の無い声ではあったけれど、僕は嬉しくなって師匠を見上げた。師匠は静かに微笑んでいた。
微笑んだまま、師匠は僕を海中へと押し返した。脱力した僕の体はゆっくりと海に沈み、波打つ水面から遠ざかっていく。ごぼごぼと口と喉から空気が抜け、体中が海水で満たされる。
足を得たのに海に住み続ける師匠は、ふわりと白いスカートを翻して消えていった。