お題:溶けてしまったもの、会えた、パステルカラーの涙 #深夜の真剣文字書き60分一本勝負



 こぽり、と最後の息を吐いて、君が海に溶けていったのはいつのことだっただろうか。
 無数の浮遊する水槽の前に腰かけて、私は在りし日を思い出す。
 船に乗った私が初めてあの星を訪れたのは、十の巡りは前のことだった。
 それがどれだけ過去になってしまったとしても、美しい君を忘れることはないだろう。ゆるく波打つ黒髪。白磁の肌に這う美しい銀色の鱗。不思議そうにこちらを見上げる星屑の瞳。船の窓越しに君を見たあの時、私は年甲斐もなく恋に落ちたのだ。
 次に会ったのはいつのことだっただろう。多分、偶然その星系の近くを通りがかった時、何か無理矢理な理由をつけて、君に会いに行ったのだと思う。君はかつてと同じように、その場所で、不思議そうに、こちらを見上げていた。
 私は重苦しい防護服を脱ぎ去り、君に駆け寄った。君は逃げようとしなかった。そればかりか君は私に笑みを向けてくれた。それだけで私は幸福を感じていた。
 私は何度も君のもとを訪れた。私と君とでは感情を伝える術が全く異なっていた。それでも君の口が何事かを呟き、生々しい鰓がはくはくと動く度に、同じ場所で生きられればと強く願わずにはいられなかった。
 そして最後に君のもとを訪れた時。私は君を連れて母星に帰るつもりだった。君もきっと、それを許してくれると信じていた。それなのに、君を縛っていた鎖を解き、君の足が海に触れた瞬間、君の体は泡になって崩れ去ってしまった。
 私は必死に君が溶けた海をかき集めた。持てる全ての技術を使い、君と思しき残骸を、いくつもの巡りの間回収し続けた。そして今、君が溶けた海は、無数の水槽となって私の前に浮かんでいる。
 水槽の中、あの日解いてしまった鎖から小さな泡が生まれ出る。脆く儚い泡はやがて連なり、記憶の中の姿へと変わっていく。
 泡の向こう側から差し出された真っ白な指が、硝子に触れた。硝子越しに存在を確かめあって、私は薄藍色の涙を流した。
「やっと、会えた」


即興ショートストーリーまとめ
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