6.結末

 次にふたりが目を覚ますと、そこは真っ白な場所でした。
 真っ白なその場所は、すぐ足元で途切れているようにも見えましたし、どこまでも限りなく続いているようにも見えました。風も匂いも道も空も何もない空間の中で、ただ、きみとぼくだけがありました。
「ゆめをみたよ」
 ふたりきりの世界で、ぼくが言いました。
「どんなゆめだったの?」
 ふたりきりの世界で、きみが言いました。
「おもいだせない、でも」
 ぼくときみはいっしょに考えて、顔を見合わせました。
「とても、とても、しあわせなゆめだったね」
「うん、しあわせなゆめだった」
 ぼくは笑いました。きみも笑いました。
「さぁ、いこう」
 ぼくは立ち上がって、きみに手を差し伸べました。そうして初めて自分に手があることに気がつきました。
「どこに?」
 ぼくの手を取りながら、そうやってきみは聞き返しました。もしかしたら聞き返したのはぼくだったのかもしれません。だけど、きっとどちらでもいいのでしょう。
「どこかに」
「どこかに」
 ふたりは言いました。いっしょにふたりは言いました。

 
 一歩一歩進むごとに、ふたりのまわりの景色は目まぐるしく変化していきました。
 早回しで飛び去っていくそれは、ニンゲンの歴史でした。
 「森」の中で眠る二人の男女を見ました。
 キカイがニンゲンに逆らう瞬間を見ました。
 栄えるニンゲンのまちを見ました。
 キカイが生まれる瞬間を見ました。
 言い争う二種類のニンゲンを見ました。
 「箱」の未来を変えようとして、死んでしまった男を見ました。
 遺跡から持ち出される「箱」を見ました。
 「森」へと身を投げる巫女を見ました。
 「箱」とともに死ぬ男を見ました。
 「森」の竜を食べた呪い子を見ました。
 一瞬のようにも、何十年のようにも感じる時間を使って、彼らの悲しみに、喜びに、思いに、物語に、耳を傾けながら、ふたりは急速に巻き戻る歴史を歩いていきました。
 ある夏の時に、「森」の真ん中にキカイの竜が座り込んでいました。
 ふたりは立ち止まりました。
 キカイの竜はもう動きを止めていて、その体はどんどん崩れていました。
 崩れていく体の中から、キカイの竜の心臓が落ちてきました。
 ひとりのニンゲンがやってきて、キカイの竜の心臓を持ち去っていきました。
 ふたりはそのキカイの竜をどこかで見たような気がしました。もしかしたら見たことがあるのはひとりかもしれません。
 しばらく考えて、ふたりは同時に言いました。
「ああ、これは「上顎」だ」
「ああ、これは「下顎」だ」
 ふたりは納得すると、次の場所へとまた旅を始めました。
 次に見えたのは冬。巨大なキカイの竜が、小さなキカイの竜に食い殺される姿が見えました。生き残ったキカイの竜は、ゆらゆらと舞う蝶を見ていました。蝶は朽ち、細かく柔らかな綿毛に姿を変えました。そして、綿毛は「森」の竜へと生まれ変わりました。
 次に見えたのは秋。巨大なキカイの竜が「森」の竜に食らいつく姿が見えました。小さなキカイの竜が逃げ出すのが見えました。
 次に見えたのは夏。「森」の真ん中にふたつのキカイの竜が座り込んでいました。老いたキカイの竜はもう動きを止めていて、その体はどんどん崩れていました。若いキカイの竜はそれをぼんやりと見つめていました。老いたキカイの竜から心臓が落ちました。その中から小さなキカイの竜が生まれました。
 ふたりは首を傾げました。
「もどってきたの?」
 未来にも同じものがあった気がして、ふたりはうーんと考えました。
「ううん、とじているんだ」
 ぼくは言いました。
 せかいには小窓がありました。
 小窓の向こうでは「おじいさん」がキカイの竜を完成させていました。
「だけどはじっこもここにある」
 小窓を覗きこみながら、きみは言いました。
「かさなっているんだね」
「かさなっているんだね」
 ふたりはいっしょに言いました。そして、上を見ました。
「そとがわがあるね」
「もうひとつそとがわがあるね」
「いこうか」
「うん、いこう」
 薄い幕を通り抜けると、全く違うせかいが広がっていました。
 土がありました。水がありました。火がありました。風がありました。生い茂る森が、渦巻く海がありました。
 そこにはニンゲンもキカイもありませんでした。
 そこにはただ、せかいがありました。
 森の中から、竜が生まれました。
 炎からも、土からも、風からも、水からも。
 せかいを構成するあらゆるものから、竜が生まれては消えていきました。
 生成と消滅を、生と死を足早に繰り返していました。
 そんな循環が永遠に続くかと思ったその時、せかいの外側から流れ星が落ちてきました。
 流れ星はぐるぐると同じところをまわるのが好きでした。
 竜たちは怒り、悲しみ、助け合い、逃げ出しました。
 流れ星はいつしか竜の形を取って、せかいの真ん中でまどろみはじめました。そうして、せかいのありかたはぐにゃりと変わりました。
 「森」は逃げ遅れて、せかいに捕まりました。
 未来は過去に繋がれました。
 過去は未来に還元されました。
 時間は円を描き、季節は繰り返すようになりました。
「これが、せかい」
 ぐるぐると同じところを回り続けるそれを、ふたりはじっと見続けました。
 ふたりは、上を見ました。
「そとがわがあるね」
「もうひとつそとがわがあるね」
「だけどこれがきっとはじまりだ」
 ずっとずっと遡ってきたのだから、はじまりがこの旅のおしまいでした。
「たどりついてしまったね」
「たどりついてしまったね」
 ふたりは顔を見合わせていっしょに言いました。
「ここから、どこにいけばいいのだろう」
 ぼくは困ってしまって立ち止まりました。
 そんなぼくを持ち上げて、「いこう」ときみは言いました。
「そうだね」
 ぼくは笑いました。
「さいごまでたびをしてからかんがえよう」
 ぼくはきみの手をぎゅっとにぎりました。
 最後の薄い幕をふたりはいっしょに通り過ぎました。
 すると、まず眩しいほどの光がありました。光はぐんぐんと遠ざかって、どんどん小さくなっていきました。光が小さくなるにつれて、ふたりのまわりは深い水の中のような、夜の色のような、藍色へと変わっていきました。ぽつんぽつんと他の光が見えるようになってきて、ふたりは、光が小さくなっているのではなくて、じぶんたちが大きくなっているのだと気付きました。その時、星空がふたりを包み込みました。
 夜。そこは夜でした。ゆるゆると動き続ける天球の中に、ふたりはぽかんと浮かんでいました。
 その場所には膨大な数の星々がありました。
 それらはその全てが記憶でした。
 記憶の光たちは一つの方向に向かって流れていました。その流れは大きく円球を描いていて、流れの間には時折こぽこぽとあぶくが浮かんでは消えていました。
 ふたりは記憶の真ん中に向かって、流れに逆らって泳ぎはじめました。足をばたつかせて。記憶をかきわけて。何も無い場所を蹴りながら。
 あと少しで真ん中に辿りつきそうだったその時、激しい流れに巻き込まれて、ふたりはばらばらに引き離されてしまいました。



 眩しい光の中、目を開けると箱がありました。
 箱の中には何かがいて、大きな目でこちらをじっと見つめていました。
 手足の萎えた胎児のような、卵の中のトカゲのような、老獪な竜のような。
 それは、不思議な、おそろしい存在でした。
 どろどろと溶けては形を作って、何も言わずにこちらをじっと見ていました。
 ここがせかいの真ん中でした。
 それの持つ光にちっぽけな自分がかき消されてしまいそうになりながら、それでもまっすぐに、それの目を見つめ返しました。
 すると、それは実はおそろしいものではないことに気付きました。
「ずっとここにいるの?」
 それは何も言いませんでした。
「変わってしまうのがおそろしいの?」
 それは何も言いませんでした。
「きみはぼくに似ているね」
 それは何も言いませんでした。
 その代わりに、記憶の光は急に激しさを増しました。



 膨大な情報の中、目を開けると箱がありました。
 箱の中には何かがいて、大きな目でこちらをじっと見つめていました。
 柔らかいニンゲンのような、何も知らないキカイのような、ずっとずっとそこにある岩のような。
 それは、不思議な、おそろしい存在でした。
 うねうねと流動しては形成して、何も言わないでこちらをじっと見ていました。
 ここがせかいの真ん中でした。
 それの持つ情報に小さな自分がかき消されてしまいそうになりながら、それでもまっすぐに、それの目を見つめ返しました。
 すると、それは実はおそろしいものではないことに気付きました。
「ずっとここにいるの?」
 それは何も言いませんでした。
「きみがわたしのはじまりなの?」
 それは何も言いませんでした。
「きみはわたしににているね」
 それは何も言いませんでした。
 その代わりに、記憶情報は急に勢いを増しました。




 また、

 流されてきた記憶と記憶がぶつかって音をたてました。
 それが声のように聞こえて、流されてしまわないように踏ん張りながら、ぼくは箱の中のそれを見つめ続けました。
 箱の中のそれも、まだこちらを見ていました。

 また、おいで

 記憶の流れはますます激しくなっていきました。
 記憶と記憶がぶつかる音が何度も響きました。
 ふと気付くと隣にはきみがいました。もうはぐれてしまわないように、ぼくはきみの手を必死に掴みました。

 ここに。

 荒れ狂う記憶の向こう側で、箱の中のそれは、大きな目を細めました。
 ふたりにはそれが優しく笑ったように見えました。
 直後に大きな波が来て、ふたりはそのまま眩しい記憶に押し流されていきました。
 存在がかき消えてしまうその瞬間まで、ふたりは決して手を離しませんでした。




 次にふたりが目を覚ますと、そこは真っ白な場所でした。
 真っ白なその場所は、すぐ足元で途切れているようにも見えましたし、どこまでも限りなく続いているようにも見えました。風も匂いも道も空も何もない空間の中で、ただ、きみとぼくだけがありました。
「ゆめをみたよ」
 ふたりきりの世界で、ぼくが言いました。
「どんなゆめだったの?」
 ふたりきりの世界で、きみが言いました。
「おもいだせない、でも」
 ぼくときみはいっしょに考えて、顔を見合わせました。
「とても、とても、しあわせなゆめだったね」
「うん、しあわせなゆめだった」
 ぼくは笑いました。きみも笑いました。
「さぁ、いこう」
 ぼくは立ち上がって、きみに手を差し伸べました。そうして初めて自分に手があることに気がつきました。
「どこに?」
 ぼくの手を取りながら、そうやってきみは聞き返しました。もしかしたら聞き返したのはぼくだったのかもしれません。だけど、きっとどちらでもいいのでしょう。
「どこかに」
「どこかに」
 ふたりは言いました。いっしょにふたりは言いました。



 そうして、ふたりはまたいっしょに旅を始めました。いつまでも、どこまでも続く旅を。
 これは、あるキカイの心臓の中に閉じ込められた、ちいさなちいさな世界のものがたり。

 とても幸せな、ふたりのものがたり。




(了)


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[2016年 04月 01日]

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