5.転
「結末」
どんなに美しくても、どんなに醜くても、
せかいは結局変わらない。
いのちのあるものと、
いのちのないものが出会ったのだから。
結末なんてはじまりから決まっていた。
では、彼らの行動は、彼らの思いは、無駄だったのでしょうか。
彼らの過ごした時間は、無駄だったのでしょうか。
「転」
包み込むような優しい薄闇の中で、少年は目を覚ましました。
青年は今や少年でした。小さな手も、細い足も、肩にかかったかばんも、星を閉じ込めたカンテラも、きみといっしょに旅をしたあの日のままでした。
一体何が起こったのだろう。
少年は体を起こして辺りを見渡しましたが、そこには彼以外には誰もいなくて、彼以外には何もありませんでした。
キカイリュウは、そこにはいませんでした。
失敗した。そう思いました。
成功した。そうも思いました。
薄闇の中で、少年は、ひとりぼっちでした。
ここはキカイリュウのココロの中。キカイリュウも知らないココロの奥。
ぼくときみはいっしょにいる。
だけどきみはここにいない。きみもぼくに気付くことはない。
少年は望んでここに至ったはずでした。
きみに気付いてもらえなくてもいいと、決めたはずでした。
だけど。だけど。
きみのいない世界が、こんなにも寂しい。
きみといっしょになれたのに、こんなにも悲しい。
少年は唐突に、なにもかもが意味の無かったことのように感じました。
「全部、無駄だったのかな」
出会いも。別れも。
楽しかったことも、嬉しかったことも。
悩んだことも、苦しんだことも。
「何もかも、無駄だったのかな」
答える者は誰もいませんでした。せかいには、少年ひとりしかいませんでした。
「むなしい……」
ぼくは、何のために。
何のためにこんなところまで来ようと思ってしまったんだろう。
何のために。
その時少年は急に思い出しました。
自分が何をしたかったのかを。
本当は何が欲しかったのかを。
「馬鹿だなあ、ぼくは」
そう、こんなにも簡単なことだった。
死にたかったわけじゃない。キカイになりたかったわけでも、永遠の命が欲しかったわけでもない。
ずっとこどもでありたかったのも、きみとおなじになりたかったのも全部おんなじ理由からだった。
ぼくはただ、きみといっしょに旅をするのが楽しかった。きみといつまでもいっしょにいたかっただけだった。
ただそれだけで、それ以上にほしいものなんて、何もなかったのに。
「あいたいよ……キカイリュウ……」
またいっしょに旅をしたい。
きみといっしょにせかいを歩いていきたい。
その時、変わることのなかったひとりぼっちの薄闇が、何かによって仄かに明るくなりました。
旅をしていたの。
誰かがそう言いました。
少年の目の前に、小さな光の玉がぼんやりと浮かんでいました。
それは、誰かの持つカンテラでした。
その光はとても小さく、弱々しいものでしたが、この薄暗いせかいを確かに照らしていました。
「きみ」といっしょにすごした日々を。
薄闇の世界に、カンテラの光は次々と増えていきました。
光の中にはとてもきれいなものが見えました。
移り変わる空の色。どこまでも続く道。
「ぼく」の笑顔。「きみ」の驚き。
それは星空のようでした。
きらきらと輝く思い出たち。
迷子になった星たちの最後に集う場所。
「ぼく」たちはここにいる。
繰り返される世界の中で、ぼくと同じように、違うように「きみ」と出会った。いっしょに旅をした。いっしょに笑って、いっしょに泣いた。無数の「ぼく」と「きみ」の残骸たちが、星屑のようになってきらきらと輝いていました。
「ああ……」
全てが繋がっていた。ここに繋がっていた。
「ここにいたんだね」
ここは「きみ」のココロの中。「きみ」も知らないココロの奥。
複製されて、積み重なってきたココロたち。
積み重なった「箱」の記憶。
積み重なった「ぼく」と「きみ」の記憶。
「みんなここにいるんだね」
辿りつけた「ぼく」も、辿りつけなかった「ぼく」も。出会いも、別れも、喜びも、悲しみも、悩んだ時間も、苦しんだ時間も、何もかもが無駄ではなかった。全てはここに繋がっていた。少年はそう知った。
きみを迎えに行こう。
きみはまだ、きっと迷子のままだ。
少年は立ち上がった。
少年の前には、カンテラの光があった。
小さな手が見えた。細い足が見えた。
鮮やかな青が見えた。うみの香りがした。
かれはそっと、少年の背を押した。
いこう。
動いた口がそう言った気がした。
少年は走りだした。
せかいはもう薄闇ではなかった。カンテラの光がせかいを照らしていた。ぼくはひとりじゃなかった。
つまずいて倒れそうになった少年の手を、誰かが引っ張った。誰かの胸からは「きみ」のような音が軽やかに響いていた。
夜が見えた。朝が見えた。辿りつけなかった「ぼく」が見えた。朝日の昇る切り株の横を、少年は駆け抜けていった。
薄い空気の幕を突き破ると、急に辺りが暗くなった。だけど何も無くなったわけじゃなかった。逆にせかいには何でもあった。土のにおいがした。空には星があった。誰かが少年の手を取った。顔にそっと触れた。口づけだと誰かが言った。
そのまま少年は夜空へと落ちていった。落ちていくぼくを誰かが捕まえた。カンテラの灯りが見えた。誰かはぼくを抱え上げて投げ飛ばした。
ぼくは夜空を走りだした。
地面に向かって落っこちそうになるぼくを、「ぼく」たちが持ち上げた。
迷いそうになるぼくを、「ぼく」たちのカンテラが導いた、「ぼく」たちが生きた軌跡がぼくを導く道しるべになった。
光たちはゆらゆらと揺れて、近付き、遠ざかりながら、一つの方向を目指していた。この先に、きっと「きみ」がいるのだとぼくは確信していた。光は、いつしか一つの波になっていた。
出会いを。
別れを。
よろこびを。
かなしみを。
いのちの音を。
みずのにおいを。
無数のきらきらと輝く思い出の波に揉まれながら、思いを受け取りながら、思い出そのものになりながら、少年は転がるようにせかいを走っていった。
せかいには美しいものがあった。醜いものがあった。光があった。暗がりがあった。おそろしいものも、たくさんあった。
それでも、ぼくは。「ぼく」は。
きみといっしょに旅をしたいんだ。
目を開けるとぼくの目の前にはひとつの箱があった。
ぼくは、箱を、きみの心臓をぎゅっと抱きしめた。
とくとくと、小さな振動。あたたかく、つめたく、うれしくて、さみしい。
きみの鼓動を感じる。きみが気づくことの出来ないきみのココロは、確かにここにある。
この先には、きっときみがいる。
ただいま、キカイリュウ。
ぼくは、ここにいるよ。