4.異伝

「If---とある少年と機械竜の物語」あきひめ 

「大きな前足をしたそのイキモノは、確かに泣いていた。涙は流さないし、表情もない。万人に聞こえる声でもない。それでも確かに、泣いていた。長く、遠く、それは地平線の彼方にまで聞える声だった。」
(キカイノクニ出身の少年、オズの言葉)

 私が家を飛び出したのは、不器用に月が欠けた夜だった。
 私は母が嫌いだった。父はいなかった。大好きだった祖母は殺された。私には母しかいなかったが、母は心を病んでいた。私は母のために一生懸命働いたが、母の病は一向に良くならなかったし、キカイの医者は効かない薬を馬鹿みたいな値段で出し続けるだけだった。私と母が暮らす街にはニンゲンの医者はいなかったので、もうどうしようもなかった。
 私が産まれるずっと前、この街はキカイのものだったらしい。そこにニンゲンが入り込み、沢山のキカイの脳を書き換えて従えた。
 それよりもずっと昔、世界はキカイとニンゲンのものだったが、今ではキカイはニンゲンの言いなりで、感情も命も無い無機物で、世界はニンゲンのものだ。
 母の病は日に日にひどくなり、とうとう私の服や宝物を勝手に持ち出して売るようになった。その金で酒を買っては、泣きながら吐くまで飲み続ける。母は完全に狂っていた。そんな母と一緒にいては、私もいつかは狂ってしまう。そうして、私は家を出たのだ。
 私たちの街は大きな壁に囲まれていて、外に出るには大門を通らなくてはいけない。私はキカイの運転する車の荷台に乗り込み、なんとか門番のキカイたちをやり過ごすことに成功した。
 今まで生きてきた十六年間、私は一度も外には出たことがなかったが、出てみるとなんの感慨もなかった。街を覆う大きな壁は存外に薄汚く、立派だと思っていた門は案外ちっぽけで、街の周りではライトをちかちかさせながらたくさんのキカイたちが規則正しく蠢いていた。
 なんだ、これでは祖母が話してくれた昔のキカイの街と変わりないじゃないか。
 私は、キカイの車に揺られて少しだけ眠った。
 目が覚めると真夜中で辺りはしんと静かな森であった。私のいた街にも小さな林はあったけれど、こんなにたくさんの木々を見たのは初めてだった。
 まるで、海と闇の合いの子だ。
 私は無性に嬉しくなって、そのまま荷台からひょいと飛び降りた。着地した地面は舗装されておらず、砂埃と夜露で濡れた土の匂いがした。私はその瞬間に自分が大層油臭いことに気がついた。サビと機械油と潤滑剤の、キカイの臭いがする。
 私はゆっくりと木々の間を抜けて、森の奥に入って行く。道らしき道はなく、ただやみくもに進んだ。ときどき、空の闇にぽっかりと穴のように浮かぶ月を見ては、やっぱり不器用な欠け方をしている、とひとりごちた。
 そういえば、母は病になる前、私が悪戯をするとよく月は空の穴なんだ、と言った。空の向こうには私たちより大きなイキモノの世界があって、私たちが虫カゴや水槽の中を覗くように、あの月という覗き穴から私たちのことを見ているのだ、と。私はそれがとても恐ろしくて、夜になると泣きながらベッドで身を縮めたのだった。
 そんなくだらないことを思い出しながら、私はどんどん森を進んだ。ここがどこかもわからなかったし、初めてやって来た森だったが、不思議と迷いはなかった。どこからか、か細いせせらぎのような音が聞こえていたからだ。それが動物の鳴き声なのか、木々のざわめきなのか、はたまた母の言う大きな世界のイキモノの声なのかはわからない。私は、初めこそ多少の恐怖と不安を感じていたが、いつしか夢中になってその音を追いかけていた。
 何本もの大木の根を乗り越え、いくつかの小川を飛び越えた頃、突然に目の前がひらけて明るくなった。木々に覆われてしばらく見えなかった空は、月がだいぶ逃げ、遠くから朝の匂いがしていた。
 広場と言うよりは、木々の隙間に出来た秘密の基地、という佇まいのその場所で私は体を休めることにした。ちょうど、月明かりの差し込む中央に、苔にまみれた大きな切り株がある。そっと手で触れてみると、苔はひんやりと湿っていてやわらかい。
 私は膝を抱えるようにして、その切り株の上に身を横たえた。あと三、四歳私が幼かったら、この切り株のベッドはちょうどいい大きさだっただろうに。今の私には少し小さくて、窮屈な大きさだった。
 ぱきり、
 ふと枝の折れる音がした。
 そういえば、さっきの不思議な音はもう聞こえなくなってしまったけれど、どうなったのだろう。そして、さっきの音はなんだろう。森の動物かしら。それとも、風で枝が折れてしまったのかしら。
 私は閉じかけていた目を開けて、ゆっくりと身体を起こした。切り株の上に立って、辺りを見回す。
 ぱきり、ぱきり、
 また枝の折れる音がした。今度はさっきよりも近い。
 ずるずる、ずるずる、ぱきり、ぱきり、ずるずる、
 何かを引きずるような重たい音がして、また枝が折れた。何か大きなものが近づいてくるようだ。
 大きな動物といっても、私は街で食用の牛しか見たことがなかったので、森にどんな動物がいるか想像もつかなかった。
 肉食で、私のことを食べようと狙っているのだとしたらどうしよう。
 そう思ったのも束の間、その音の主がぬっと姿を現した。それは、大きな大きな前足をしたキカイだった。体が大きく鈍色でキカイの臭いがする。体のあちこちからぎしりぎしりという小さく軋む音がする。枝を踏みしめていただろう足には大きな爪がついていて、頭は思ったよりも小さい。そんな頭の高い位置で、ふたつの大きな目がちらちらと光っていた。
 そのキカイは、昔祖母が読んでくれた絵本に出てきたイキモノに似ていた。竜、だ。
 私は思わず身を硬くした。大きなキカイの竜は、切り株に乗った私が見上げるほど大きくて、その大きな前足と爪で今にも踏み潰されてしまいそうだからだ。もしかしたらあの小さな頭は見せかけで、どこかに鋭い牙がたくさん生えた大きな口があるのかもしれない。私はじっとキカイの竜と睨み合った。キカイの竜は時折ぎしっと音を立てて首を傾げるような動きをしたが、その場所から動くことはなかった。
 すると、耳鳴りのようにあの音が聞こえていた。
 泣いている。このキカイの竜は泣いている。音は、このキカイの竜の泣き声だったのだ。
 私はなんの根拠もなく、そう感じた。いや、私が感じたのではない、実際にキカイの竜は泣いているのだから。
「泣いてるの?」
 私はそっと声に出して尋ねてみる。
『わかるの?』
 キカイの竜が確かに言った。
「わかるよ。」
 私はどきどきする心臓を抑え付けるように言葉を続けた。
『どうして?』
「どうしてかな……、」
 私は切り株から降りて、一歩、キカイの竜のほうへ近付いた。やはり、大きい。私よりも遥かに大きい。
『おまえも、キカイ?』
 キカイの竜は身体をのそりと動かして、四つ足の姿勢になった。小さな頭が私と同じ目線にやってきて、私の胸を指すようにまた首を傾げた。やはり、ぎしりとキカイの軋む音がした。
「あ、もしかして、」
 私は自分の心臓に手をやった。
 私は赤ん坊のとき、心臓の病気になった。生まれつきの病気だった。本当はそのまま死ぬはずだった私は、キカイの医者によってキカイの心臓を埋め込まれ、なんとか生き延びたのだ。キカイの作ったキカイの心臓はとても優秀で、そのたった一回の手術以降、私は医者にかかったことがなかった。だから、私は自分の心臓のことを意識したこともなかったのだ。
 私が幼い頃、祖母はこの話を嬉しそうにしてくれたが、母はあまり嬉しそうな顔をしなかったのを覚えている。まるで、私なんてそのまま死んでしまえばよかったのに、とでも言いたげな顔だった。だから、私は母が嫌いだった。
『からだはニンゲンなのに、なかみとにおいはキカイだ。おまえ、変なやつ。』
 私はそんなキカイの竜の言葉に思わず笑ってしまった。私はしばらくくすくすと笑っていたが、キカイの竜は少しも笑わなかった。それどころか、また小さく泣き始めたのだった。
 私は、
「ね、きみはどうして泣いてるの?」
 と尋ね直した。すると、キカイの竜はぽつりと
『うごかないんだ。』
 と言った。
 なにが、と私が聞こうとした瞬間、キカイの竜は四つ足の姿勢から、このひらけた場所に現れたときと同じように背筋を伸ばして、ちょこんと座っているような姿勢へと大きな体をぎしぎし動かした。そして、縦になったキカイの竜の胴体が、かしゃかしゃと騒がしく開いていった。キカイの竜の胴には、まるで蜘蛛やカニのようなキカイの足がたくさんついていて、それがひとつずつ花びらのようにひらいていく。胴の中にはニンゲン一人分くらいのスペースがあって、その中からなにか白いものがからからと乾いた音を立てて出てきた。
 私はキカイの竜の胴から落ちたものを追って、足元に目線をやると、それはニンゲンの骨だった。大人くらいの大きさの、真っ白なニンゲンの骨だ。
「これ……、」
 私は思わず、後ずさりをした。全身の血の気が引いて行くのがわかる。
『ニンゲンだけどトモダチなんだ、でもうごかない。』
 キカイの竜は淋しそうにそう言って、また泣いた。甲高い声で長く、長く、泣いた。
 私はてっきり、キカイの竜がこのニンゲンを食べてしまってこうなったのかと思ったが、どうやら違うようだ。この考えにも、全く根拠がない。それでも、何故だか私には分かるのだった。
 このキカイは、確かに生きている。感情を、自我を持っている。私の街にいたキカイたちとは違う、このキカイは、いや、竜は、無機物なんかじゃない。私たちニンゲンとおんなじだ、私とこの竜は、おんなじなのだ。お互いにからだとなかみが、あべこべなだけで。
 竜はいつまでも泣いた。私は散らばった骨をゆっくりと集めて、切り株のベッドの上に置いた。生まれて初めてニンゲンの骨に触ったけれど、恐ろしくも気持ち悪くもなかった。その骨には、全く知らないニンゲンにも関わらず、よく知っているトモダチと触れ合っているような安心感があった。
 じきに、朝がやってきた。私は竜に言った。
「このひとは、死んでしまったんだよ。」
『しぬって、どういうこと?』
 竜は硝子のような目で切り株の上のトモダチを見つめていた。
「もう動かないし、もうお話できないし、もう会えないんだよ。……私の家族とおんなじだ、」
『かぞく?』
 私は地面に座り、大きな竜の前足にもたれかかるように体を預けた。冷たくて、絶え間なく軋んでいて、嗅ぎ慣れたサビの臭いがした。
「私の祖母は、キカイに殺されてしまった。私の住んでいた街はキカイがたくさんいてね、ニンゲンに使われていたんだよ。でも、ときどき流行病のようにバグが起きて、キカイがニンゲンを襲うんだ。私の祖母は、そうして襲われたひとりだった……、」
 祖母が死んだ日のことを、私はよく覚えていない。私が小さかったというのもあるが、思い出そうとすると全く違う記憶が出てきて邪魔をする。
 街で仕事をしていた知らないキカイが、突然私たちの家にやってきて、庭の掃除をしていた祖母に襲いかかったらしい。祖母の事件はちょっとしたニュースになって、近所の人の同情をかったりした。私は何も知らない子供だったが、キカイはニンゲンではないし、ニンゲンにもなれないのだ、そして、祖母にはもう二度と会えないのだ、と本能的に理解した。
『よくわからない。キカイがわるい?』
「ううん、ちがう。イキモノはいつか死ぬんだから。」
 私は自分に言い聞かせるように呟いた
 昇ってきた朝日が切り株に差し込んで、トモダチの白い骨は一層白く輝いて見えた。
『おれも、しぬ?』
 竜は空を仰ぐようにして、尋ねた。
「たぶんね、だって私たちはおんなじだから。」
 私も空を仰いだ。壁で仕切られていない森の空は、青くどこまでも澄んでとても月並みだけれど、すごく気持ちがよかった。
『おんなじ?』
「そうだよ。私もきみも、キカイだけどイキモノだから。」
 竜が体を震わせるようにしたので、私は慌ててもたれるのをやめて立ち上がった。竜は空を仰ぐのを止めて、切り株の上のトモダチをまた見つめて言った。
『おまえも、トモダチ?』
 私は切り株の向こうの、竜の目の前に躍り出ていって、
「きみさえ、よければ。」
 と古い映画の主人公のように、優雅な一礼をした。最初に私が笑った。すると、竜も笑った。声もないし、表情だって変わらない。それでも確かに、悲しそうに、でも嬉しそうに竜は笑ったのだ。
「トモダチのお墓、作ろうよ。」
『おはか?』
「骨を埋めてあげるんだよ。それで、そこにお花を供えたりするんだ。そうすると、そのひとの魂は救われる。」
 私の言葉に、竜はぎしりと首を傾げた。
『……たましい?』
 キカイにはそんな習慣はない。壊れたキカイは捨てるか、修理してまた使うだけだ。でも、イキモノは違う。イキモノには魂がある。魂を救えるのは、きっと神様だけだ。だから、私たちはその手助けをする。
「きみには難しい?」
『すこし、』
 私は、このトモダチのことを知らない。竜のことも知らない。それでも、竜もこのトモダチも私も、生きている。自分の足で、自分で選んで、どこまでも歩いて行ける。それがきっと、イキモノなのだろう。
「私たち、これからどうしよう。」
『いく。』
「どこへ?」
『どこへでも。』
「……そうだね。」
 ぎしぎしと大きなキカイの体を軋ませる私の新しい友達は、森の朝日を浴びて楽しそうに笑った。キカイの街からやってきたキカイの心臓を持つ私も、つられて笑う。
 きっと、ふたりなら、どこへでも行ける。どこまでも行ける。

To be continued……?


[2016年 03月 25日]

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