「語り部の見た世界」08

 まちのニンゲンは毎日のために生きていく。「上顎」を頼り、「教会」を頼り、まちの中だけでただ生きるために生きていく。
 生きるために同じことを繰り返し、このまちではゆるゆると時間は進んでいく。
 結局心配していたようなおそろしいことは何も起こらないまま、アルカの平穏な、何も変化のないまちの日々は過ぎていった。
 イラが「上顎」に入るという話も、「上顎」と「教会」の間で戦争が起こるという話も、おじいさんから聞かされた過去の話も、未来の話も。
 全部全部、もしかしたら性質の悪い夢だったのかもしれない。そう思い始めていた。
 イラがアルカを「上顎」に紹介すると言い出したのはそんな時だった。
 アルカはその申し出を承諾した。
 「上顎」に入ること自体には興味はなかった。「上顎」の言い分にも「教会」の言い分にも、理解はできても心の底から共感することはできなかったから。だけど「上顎」があのキカイを無力化する装置を何のために使うのか、それだけは興味があった。そして、「上顎」と「教会」の戦争が本当に始まるのかどうかにも。

 「上顎」の建物を包むようにある奇岩は、近くから見上げると、ますます巨大な竜の上顎の骨のように見えた。
 もしかしたらずっとずっと昔には、本当にこの「上顎」と「下顎」の持ち主がこの場所にいたのかもしれない。アルカはそう考える。
 「上顎」の周囲は堀で囲まれていた。このまちには攻めてくるものなど何もないのに。時代錯誤の形だけのその防衛は少し滑稽ですらあった。
 堀の向こうを見ると、様々な金属を積み上げてできたニンゲンの男性二人分ほどの背がある柵がある。
 これは遙か昔、このまちを作ったニンゲンたちが打ち倒したキカイの残骸だと伝えられていた。だけど本当かどうかは疑わしい。もしニンゲンがこれだけの量のキカイに勝つことができる技術を持っていたのなら、そもそもキカイから逃れるためのこのまちを作る必要なんてないはずなのだから。
 堀に渡った橋を通り過ぎると、たくさんの小さな家がへばりつきあったような形状の建物が目の前に現れる。
 まるでお城のおもちゃだ。形だけを真似たおもちゃ。本でしか見たことはないけれど、アルカはそう思った。
 中央の大きな門に近付いていくと、一人の男性が人の良さそうな笑みを浮かべながら二人に歩み寄ってきた。
「やあ、きみがアルカ君だね。話は聞いているよ」
 イラが「彼が団長だ」とそっと耳打ちした。
「科学者先生のたった一人のお弟子さんだそうじゃないか。聞けば、大変聡明だとか」
「いえ、僕は別に……」
「きみが我々の仲間になってくれることは、我々「上顎」にとって必ず大きな利益となるはずだ」
「あの」
「我らの「上顎」にようこそ。歓迎するよ。アルカ君」
 男性はアルカに手を差し出した。
「あ、はい……」
 彼があまりにも生き生きと語るものだから断りきることができずに、アルカはその手を握り返してしまっていた。

 建物の中に入ると、アルカとイラは大広間に通された。
 大広間には大勢のニンゲンが集まっていて、ちょうど今から「上顎」の集会が始まるところのようだった。
 数人に周囲を守られた一人の男性が壇上にのぼった。男性は小さく片手を上げて、集まったニンゲンたちのざわめきが収まるのを待って、演説を始めた。
「4日後。我々「上顎」は「教会」へと奇襲をかける」
 4日後。あまりにも近い決行日に、アルカは言葉を失った。
「標的は、「教会」の塔と、「教会」の領域にあるこのまちの出口だ」
 出口。
 まさか、まさか彼らは、まちの外に出るつもりなのか。ニンゲンを食べるキカイのいる、まちの外に。
 握りしめた拳が震える。
壇上の男性はおそろしい言葉をさらに続けた。
「キカイはニンゲンを喰らう。ニンゲンはこれまで、キカイから逃げ続けることしかできなかった。だが今我々は科学者であるキヴォトス氏にご協力いただき、キカイを無力化する装置を作り上げた! この装置でキカイは恐るるに足りない存在になるだろう。ニンゲンはもうキカイを恐れなくてもいいのだ! 我々はこのまちを出る! 装置の力を借り、全てのキカイをニンゲンの力で打ち倒す! これはニンゲンの未来の為の聖戦だ! これは「教会」との戦争であると同時に、キカイとの戦争なのだ!」
「……だめだ!」
 アルカは机を叩いて立ち上がっていた。叫んでしまった後、はっと我に帰る。部屋の中の全ての視線は今やアルカ一人に向けられていた。
 ああ、まずい。冷静な自分が耳の奥で言う。だけどもう止められない。 
「ニンゲンはキカイには勝てない! みんな死んでしまう!」
 自分でも驚くほど大きな声が出た。
 演説によって熱狂していたニンゲンたちが、一気にしん、と静まり返った。
「まあまあアルカ。落ち付けって」
 隣に座っていたイラが立ち上がった。
「なんでそう言い切れる? やってみなきゃ分からないじゃないか」
 自信に溢れた笑みを顔に貼り付けて、イラは親しげにアルカの肩を叩いた。次の瞬間にはアルカはその手を払いのけていた。体の底から震えが上ってくる。額が痛い。緩く開いた自分の手に血の色が見えた。
 この痛みの元は誰だっただろう。かたい金属。猛々しく吠える声が聞こえる。責める声も。震えが止まらない。でも優しかったような気もする。あれは誰だっただろう。
 答えを見つける前に、せり上がってくる震えは言葉になって吐き出されてしまった。
「それはきみがキカイを見たことがないからだ! キカイのおそろしさを知らないからだ!」
 否定してしまった。ああ、否定してしまった。頭の中でそう言う声がした。
 否定してはいけない決定的なものを、自分自身で否定してしまった気がして、アルカは額を押さえて数歩よろめいた。
 部屋の中にはざわめきが広がっていた。希望に目を輝かせていたニンゲンたちが、今では不安そうに顔を見合わせて、何かを言い合っていた。
 見上げると壇上の男性が、おそろしい顔をしてアルカを見つめていた。
「もういい、おまえを誘った俺が間違ってたよ」
 両脇を固められて連れ出されるアルカの目に、失望しきったイラの表情が強くへばりついた。

 「上顎」を追い出されて、アルカは一人夜の道を歩いていった。昼間には賑わうこの道も、すっかり星が昇ってしまった今では誰もいない。
 アルカは空を見上げた。長い前髪が垂れて目にかかる。
「どうしていっしょに生きられないの……。違うことはそんなにいけないことなの……?」
 その言葉は誰に向けられたものだったのだろう。友人に、「上顎」に、「教会」に。それともキカイに? ニンゲンに?
 口を開けて、閉じた。それ以上の言葉が出なくて、奥歯を噛みしめた。何もできない悔しさが、何か大切なものを否定してしまった悲しさが、涙に姿を変えて目を覆いそうになる。
 せめて雨が降ってくれればいいのに。
 だけど空は、いつも通りの突き抜けるような渇いた藍色をしていた。空の真ん中の大きな星を守るようにたくさんの小さな星たちが砂粒のように無作為にばら撒かれている。だけど彼らはみんな自分の居場所を持っている。風が吹いたって飛ばされることはないし、ばらばらに動き出すこともない。
 変わらない。いつも通り。
 僕がどんな気持ちであっても世界は何一つ変わらない。
「ちっぽけだ」
 僕の声は誰にも届かない。
 たとえ今が昼だって、僕が叫んでみたってそれは変わらない。アルカはそう確信していた。
 アルカは変わることのない空から目を逸らして、家への道をとぼとぼと辿り始めた。
 どうして。どうして。どうして。
 絡まりあって一つに纏まってくれない疑問が、感情が、ぐるぐるとアルカの中で渦巻いている。
 その正体をついに掴むことができないまま、アルカは自分の家の前まで歩いてきてしまっていた。
 ガラクタの中に手を突っ込み、埋もれかけた入口の戸を引っ張り開ける。ぎいぎいと蝶番が鳴いて、沈んだ気分のアルカを出迎えた。
「ただいま帰りました、おじいさん」
 返事は無かった。
 もう遅い時間だから、きっと寝てしまったんだ。
 そう考えて、アルカは音を立てないようにそっと戸を閉めた。
 廊下を真っ直ぐ進むと、件の装置のある部屋がある。もし寝てしまったのでなければ、「おじいさん」に今日の話を聞いてほしい。自分がどうするべきだったのか、一緒に考えてほしい。アルカは装置の部屋の戸をそっと開けた。
 その部屋に「おじいさん」はいた。
 天窓から入ってくる星の光に照らされて、「おじいさん」の姿が見えた。
 床に倒れている「おじいさん」の姿が見えた。
 アルカは部屋の入口で立ちすくんだ。手から離れたカンテラが床にぶつかり、そのまま数度転がって止まった。
「――おじいさん?」
 いつもの通りの部屋だった。ゆるゆると進み続ける日常と何も違わないはずだった。壁に埋め込まれた歯車も、片づけられずに散らばっている工具も、鈍く音を立てる装置も、天窓から差し込む柔らかい星の光も、何もかもがいつものままだった。
 だけど、「おじいさん」は動かなかった。倒れたまま、動かなかった。
 彼はこれを知っていた。
 彼はこれを、知っていた。


[2016年 03月 10日]

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