「語り部の見た世界」04

「こんにちは」
「うわっ」
 そんな時に急に声をかけられたものだから、アルカはとても驚いて仰け反った。その拍子に頭の後ろを勢いよくキカイにぶつけて、頭を抱えて悶絶した。
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの」
 ぶつけたところを押さえながら顔を上げると、そこにいたのは帽子を被った少女だった。大人びた話し方をしていたが、アルカよりもずっと年下であることは確かだった。
 彼女が生きたニンゲンであることをよくよく見て確かめて、アルカはほっと息を吐いた。
「びっくりした、こんなところで人に会うとは思わなくて」
「私もびっくりしたわ。だってここは「教会」の領域だもの」
 「教会」という単語を聞いて、アルカはびくりと肩を震わせた。
 もしかして彼女は「教会」のニンゲンだろうか。もしそうなら「教会」の領域に勝手に入った自分はきっと罰せられてしまう。そこまで思い至って、アルカは一気に青ざめた。
「ご、ごめんなさい。勝手に入って」
「うふふ大丈夫よ、実は私も、勝手に入ってきているの」
 少女は人指し指を口の前に立てて悪戯っぽく笑った。アルカはほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ僕とおんなじか」
「ええ、私も見つかったら怒られてしまうわ」
 二人は顔を見合わせて、声を上げて少し笑った。お互いに初めて会ったのに、いっしょに大人から隠れて悪戯をしているような気分だった。
 少女は腰をかがめて、座ったままのアルカの手の中に開かれた本を覗き込んだ。
「本を読んでいたの?」
「うん」
 アルカも手の中の本へと視線を落とした。
「でも、ただの子供のための作り話だよ」
 少女は本に描かれた挿し絵をじっと見つめていた。何も無い荒野をひとりのキカイとひとりの子供が歩いていく絵を。
「ねぇ、もしよければこのお話、私に語って聞かせてくれないかしら?」
「えっ、でも本当に子供だましのお話だよ?」
「ええそれでも聞きたいわ。だって私は子供だもの」
 少女は大人びた喋り方のまま、堂々と胸を張ってそう言い切った。
 その様子がおかしくて、アルカは思わず小さく吹き出した。
「あはは、それもそうだね」
 アルカは、本に記された物語を少女に語って聞かせた。
 あるキカイとある少年の出会いを。遠い遠い場所にある「森」を、ニンゲンのまちを。生きることを、死ぬことを。その少年の困惑を、理解してもらえないかなしみを。
 少女は黙ってそれを聞いていた。そうしてアルカが語り終えた時、ただ一言、「かなしいお話ね」と言った。
 アルカは悲しそうに目を伏せて「うん」と答えた。
「だけどしあわせなお話なのね?」
 少女はアルカの目を見上げて優しく微笑んでいた。
 アルカは数度ゆっくりまばたきをした。
「しあわせ」
 その言葉はとてもしっくりきた。
 アルカは本のざらざらな表面をそっと撫でながら微笑んだ。
「うん、きっとそうだね。その少年とキカイは、きっとしあわせだったんだ」
 アルカは後ろを見上げた。そこにはキカイがいる。大きなキカイの首がある。何の表情も持たない金属が、何も考えなくなって、死んでいる。
 少女ももう動かないキカイを見上げた。キカイには地面から伸びた植物が這っていて、金属の肌もくすんだ色をしていた。
 このキカイは、死んでいる。
「ねえ、キカイはどうして死ぬのだとおもう?」
 そんなこと誰も知るわけがない。
 だけどもしかしたら彼女なら分かるかもしれない。そんな気がした。
「死ぬ? いいえ、わたしは、彼らはただ眠っているだけのように思うわ」
 眠っている。
 アルカは目を何度も瞬かせた。死んでいるのではなく、眠っている。
 そう考えたことは、あったかもしれない。だけど、待っても待ってもキカイが目を覚ますことがなかったので、もうとっくの昔に諦めていた考えだった。
 少女は少しの間唸りながら悩む素振りを見せていたのだが、不意にすっくと立ち上がった。
「ついてきて。あなたに見せたいものがあるの」
 少女はアルカの手首をつかむと、「森」に覆われつつある石畳の方へと引っ張っていった。屈むような姿勢になりながら、アルカは抵抗せずに少女に引っ張られていった。
 
 「森」に埋もれた石畳の先、道の両側から伸びていた枝葉を除けると、大きな建造物が視界に飛び込んできた。
 それは遺跡だった。
 遠い昔に滅びたであろうニンゲンの文明の残骸だった。
「この中よ」
 少女は黒々とした闇が渦巻く、遺跡の中を指し示した。
 遺跡の入口でアルカはカンテラをつけた。カンテラの鈍く濁った光が遺跡の中をぼんやりと照らした。
 そうしている間にも、少女はまるで見えているかのように堂々と、自信を持って遺跡の奥へと進んでいった。
 アルカはその後ろを、カンテラで足元を照らしながら、おっかなびっくりついていった。
 遺跡の中は暗かったが、それは完全な暗闇ではなかった。おそらく、カンテラを使わなくてもぼんやりとならば遺跡の中を見ることはできるだろう。どこからか遺跡の中へと外の光が入ってきていた。
 見上げると、天井近くの一箇所に大きな横穴が開いていて、一枚の壁画が外からの光に照らされていた。アルカは立ち止まった。
「あれは……」
「神様たちよ」
 少女はこともなげにそう答えた。
「あのごつごつした大きな竜がPOTESTAS。VOUSを喰らおうとする恐ろしい神様。そのPOTESTASの内側に包まれているのが「教会」の信じる「森」の化身VOUS。ニンゲンを導いてくれる最も偉大な神様よ。真ん中の箱は何なのかはまだ分かってないわ。でもきっと神様なのでしょうね。彼ら三柱の外側にいるのはSoro,Ira, Maestitia。彼らは偉大な精霊で――」
 少女は順番に指をさして、すらすらとアルカに教えていった。
 それは、アルカの知らない知識ばかりだった。もしかしたら「教会」では誰でも知っていることなのかもしれない。そうやってアルカは考えた。
「詳しいんだね」
 少女は無言のまま曖昧な笑顔だけをアルカに返した。
「行きましょう、こっちよ」
 そう促す少女に続いて、アルカは遺跡の奥へと進んでいった。
 入口からまっすぐ続いていた道の突き当たりに、ひとつの部屋があった。
 そこにいたのはたくさんのキカイだった。
「ここが、キカイの墓場よ」
 部屋の中には低い台座がたくさんあった。その上にはキカイが乗っていた。
 広い部屋の中に等感覚に置かれた台座の数だけキカイはあった。
 まるで展示されているように。まるで誰かによって大切に保存されているかのように。
 少女はひとつのキカイに触れた。キカイは動かなかった。
「「教会」で、ここのキカイたちがいつ作られたものなのか調べたの。今まで捕まえたどのキカイよりも、どの遺物よりも、ここのキカイたちは古かった」
 何故彼女はこんなことを知っているんだろう。自分よりもずっと年下に見えるのに。
 だけどその疑問を口に出してしまえば、きっと彼女はこれ以上を語ってはくれないだろう。
 アルカは浮かびかけていた疑問をぎゅっと飲み込んで、口を噤んだ。
「だけど心臓だけはみんなおんなじ構造をしているの」
 どんな形をしていても、その本質は同じなのだと彼女は言った。
 キカイの心臓は、科学の知識を取りだす「箱」の劣悪な模造品なのだと「おじいさん」が言っていたのを、アルカはぼんやりと思い出していた。
「生きているキカイも、動かないここのキカイたちも、心臓だけはおんなじだった。おんなじように壊れてはいなかった」
 少女はたくさんのキカイを背にして両手を大きく広げた。
「つまり、彼らの心臓は死んではいないのよ。彼らは眠っているの。わたしたちがこの土地に来るずっとずっと昔から、今、世界に蔓延っているキカイたちが生まれるずっとずっと前から、彼らは眠っているのよ」
「眠っている……」
 アルカは繰り返した。
 もしそうだったらどんなにいいか。耳の奥で誰かが囁く。
「どうして眠ってしまったのだろうね」
 ふと浮かんできた疑問が口をついて出た。
「そんなに悲しいことがあったのかな」
 アルカは台座の上に座るキカイたちを見上げた。
 どのキカイも心臓以外の部品も足りないものは無くて、壊れている様子は無かった。眠り続けるあの広場のキカイと、おなじように。
 彼らは生きることが嫌になってしまったのかもしれない。ふとそんなばかばかしい考えが頭をよぎった。
 「おじいさん」が言うには、生きているから争いは起きるものらしいから。彼らはそれが嫌になってしまったのかもしれない。
「ねえ、きみは生きるとは何だと思う?」
 そうやって少女に聞いたのはほんの気まぐれだった。彼女なら答えてくれるかもしれないという期待もあったけれど。
「生きることは道に従うこと。神様の御心のままにあることよ」
 まるで暗唱するようにすらすらと少女は答えた。
 アルカはその時、彼女もまた、道の真ん中を歩くニンゲンなのだと知った。
 そしてこれはどんなことがあっても揺らぐことがないものなのだと知った。「おじいさん」が言っていた、生きている以上いつかは得る、譲れないものなのだと知った。
「そう……」
 アルカは動かないキカイたちを見た。
 彼らは眠っている。
 彼らは死んでいない。
 あの時はあんなにもおそろしかったキカイの間の暗闇が、今ではとても穏やかなものに見えた。

 薄暗い通路を通って、二人はいっしょに遺跡の外に出た。久しぶりの光が目に眩しくて二人は目を覆った。
「今日は色々ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったわ。またお話しましょうね」
「それはまたここで? それともまちで?」
「そうね、ここでもいいけれど、今度は見つかっても怒られない場所の方がいいかしら。こそこそ隠れて話すのは疲れてしまうから」
「僕がここにいたこと、内緒にしてね?」
「勿論。私だって怒られたくはないわ」
 二人は顔を見合わせて、笑いあった。
 その時、一陣の風が二人の間を引き裂くように駆け抜けた。
「あっ」
 少女の帽子が風にさらわれる。慌てて頭を押さえようとするが、もう遅い。アルカは少女の帽子の下にあるものを見てしまっていた。
額から生える二本の小さな角。その角の付け根の肌にぽつりぽつりと見えるのは鱗。
アルカはまちの噂を思い出した。
 人の姿をしているのに人ではないもの。角を持った竜の末裔。「教会」の巫女。
「――呪い子」
「……見られてしまいましたね」
 少女はとても悲しそうな表情をした。それは、泣き出しそうな子供の顔だった。だけどその対応は大人びていた。
「今見たものは他言無用です。もし破ればあなたは「教会」に罰せられます。いいですね?」
 突然の出来事すぎて、アルカは咄嗟に何も答えることができなかった。
「それでは、さようなら」
 アルカの返事を聞かないまま、少女は踵を返した。その語尾は震えていた。
 そのまま立ち去ってしまう、その寸前でアルカはなんとか言葉を絞り出した。
「また!」
 少女は振り返った。少女の目には涙がたまっていた。
 アルカは微笑んで、片手を少女に差し出した。
「また、お話しよう。今度はこそこそ隠れたりせずに」
 少女はびっくりして少し口を開けた後、震える手をおそるおそるアルカの手に重ねた。そうして泣きそうな顔のまま、くしゃっと笑った。
「はい!」
 年相応のその笑顔が、アルカはとてもきれいだと思った。


[2016年 03月 02日]

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