「語り部の見た世界」02

 落ち窪んだこのまちの最もへこんだ中心部の程近く、家というよりは用途の分からないガラクタを積み上げただけのように見える奇妙な塊がある。アルカは水桶を地面に置いてガラクタの中に埋もれた戸を力任せに引っ張り開けた。
 ここが、アルカと「おじいさん」が住んでいる家だった。
「ただいま帰りました、おじいさん」
 家の中に向かってアルカは声を張り上げたが、家を構成するガラクタの蠢く音がするばかりで、返事の返ってくる気配はない。その代わりに、家の外、向かいの家の脇から伸びる道の奥から、聞き慣れたよく通る声が聞こえてくることに気付いた。
「科学とは! 世界に散らばるあらゆる事象を知識の形にするものである! この世界は何もかもが最初から定まっている。「箱」の中に全ては記されている。過ぎ去りしものも、未だ来ぬものも全ては初めから決定され繰り返しているのだ! だが定まっているからこそ、ニンゲンはそれを超えられる。「箱」の記憶する全ての歴史を! 「箱」から得た全ての歴史の記憶を以って! そう、知識を以って! 力を以って! 科学を以って!」
 目を逸らしながら日々の生活を淡々と続ける不特定多数のニンゲンに向かって、腕を振り上げ、声を張り上げて、大演説を繰り広げるその老人は端から見れば狂人に見えたし、端から見なくても狂人そのものだった。
 しかしアルカは、白くて長い髪と髭を振り回しながら叫び続ける老人の肩を、後ろから軽く叩いた。
「おじいさん、おじいさん」
「おお、アルカ! いつ帰ったのだね?」
「たった今ですよ」
「そうか! ならば研究だ! 早く帰ろうではないか! 早く早く!」
 こどものような無邪気さで、老人は――最後の科学者(キヴォトス)は笑った。

 「おじいさん」の正確な年齢は誰も知らない。十数年前にふらりとまちに現れて、それ以来奇妙な行動の数々を繰り広げながらこのまちに住み続けているらしいのだが、このまちを訪れた時には既に今と同じ、誰よりも老いているのに誰よりも理性的な見た目をしていたらしい。どれだけ年月が過ぎてもあまりにも見た目が変わらないものだから、本当は百歳をとうに過ぎているのではないかと言う者がいるくらいだった。
 上機嫌のまま、奇妙な家に入っていく「おじいさん」を、水桶を慌てて持ちあげてアルカは追いかけた。
「おじいさん、この水はどうしましょう?」
「半分は甕に、もう半分はそこの手前の冷却筒に入れておいておくれ」
「わかりました」
 入口からまっすぐ続く狭い通路の突き当たり、この家の中で最も広い部屋の中央に、線や筒によって、複雑に組み合わさった装置が鎮座していた。初め、手の平に収まる程度の大きさしかなかったこの装置は、繰り返される増改築によって、今では吹き抜けの天窓に届きそうなほど膨れ上がり、その頂点には棒に皿のような形状がついたものが一つついていた。
 奇妙な姿勢のまま沈黙する装置を、工具箱を持ちあげながら見上げて、アルカはうっかり聞きそびれてしまっていた疑問をぶつけた。
「おじいさん、これは何を作っているのですか?」
「ああ、これはキカイを無力化するための装置だよ」
「キカイを?」
 アルカは奇妙に思った。このまちの中にはキカイは入ってくることはできないはずなのに。一体何の為にそんなものが必要なのだろうか。
 会話を続けながらアルカは差し出された「おじいさん」の手に工具を渡した。
「「上顎」の連中に頼まれてなあ」
「「上顎」……」
 一点の曇りも無い笑顔で「上顎」に入りたいと言っていた友人の顔が浮かんだ。下顎の「教会」にいた、あの優しそうな男性のことも。
「キカイの構造は複雑なようで単純なのだ。その中身自体は私の作ることのできる単純な動作を繰り返す装置と大差はない。唯一異なるのは心臓の有無だけだ。キカイには心臓がある。何故初めにキカイを作った者はキカイに心臓を組み込んだのか。ああ、その理由は明白だ。彼は、神を模倣したのだ。キカイとは神の創造の試みの副産物だった。地に蔓延るあのキカイどもは皆出来損ないの神なのだ。キカイの心臓は神の箱、即ち科学の「箱」の、劣悪な複製品だ。我々ニンゲンの知らない何かが内蔵されていてもおかしくはない。そして現実にキカイはニンゲンに反逆した。キカイは自らの意志を持っている。それはココロと言ってもいいかもしれない。私は思うのだ、キカイの心臓にはキカイたち自身ですら認識することの出来ないココロとでも呼ぶべき領域が存在しているのではないかと」
 熱心に語る「おじいさん」の話は半分もアルカの頭に入ってこなかった。
アルカは、装置を見上げていた。ただの部品でしかなかったものが、「おじいさん」によって組みかえられ組み合わされて命を吹き込まれていく。キカイを無力化するための装置が。上顎に入りたいと言っていたイラのことが気にかかってしまっていた。勿論、「おじいさん」の言うことへの理解が追い付かないからでもあったけれど。
ふわふわと浮かんでくるいくつかの不安を飲み込んで、「おじいさん」の演説を邪魔しないよう、アルカは黙って作業の手伝いを続けた。
「もし私の推測が当たっているのならば、この装置でキカイを無力化することができる。キカイの基礎部分の構造は単純だ。もし基礎部分に心臓の中身を、「箱」を、ココロを認識させてしまえば、キカイはその膨大な情報を処理しきれずに、動きを止めてしまうはずなのだ!」
 長い長い「おじいさん」の演説が終わってしまって、二人の間には妙な沈黙が流れた。ただ、二人の作業の手は止まることは無かったし、家の至るところに埋め込まれた歯車の音が止まることも無かった。
 アルカは考えていた。どうして「上顎」と下顎の「教会」は仲が悪いのだろう。どちらにも良い人はいるのに、何がそんなに気に入らないのだろう。上顎と下顎の位置が離れているからだろうか。「教会」がこのまちから出るための門を守っているからだろうか。それとも、「上顎」の指導者が男なのに、「教会」の指導者が女の「呪い子」だからだろうか。
 いくら考えてもアルカには答えは分からなかった。
「おじいさん」
 放置された沈黙が時間によって変質し、質量を持って二人に纏わりつきそうになった頃、不意にアルカは口を開いた。
「どうしてニンゲンは争うのですか?」
 協力して、いっしょに生きていけば、その方が絶対にいいはずなのに。どうして彼等は争うのだろう。
「どうした、突然」
 怪訝そうに振り返った「おじいさん」の目をアルカは真剣に見つめ返した。
「ふむ」
 「おじいさん」は作業の手を止めて、髭をたっぷりたくわえた顎を数度撫でた。
「それは、生きているからだよ。アルカ」
「生きているから……?」
「人は生きている以上、否応無く成長して、様々なものから影響を受けて、元々あった形から変化する。そうしているうちに、次第に譲れないものができてくる。譲れない以上は、相手を否定するしかない。貶めるしかない。争うしか道はない。人はね、自分のために生きるのをやめない限りは、他者と争わずにはいられないようにできているのだよ。……私がそうだったようにね」
 最後の一言は、消え入りそうな声だった。その横顔が急に別人のように弱弱しく見えて、アルカは俯いた。
「よくわからないです、おじいさん。――でも」
 アルカは手に持っていた工具をぎゅっと握りしめた。
 脳裏を懐かしい影がふとよぎる。生きることは動くことだといったあれは、一体誰だっただろうか。
「それってすごく、悲しいですね」
 「おじいさん」は何も答えなかった。暫くの間、「おじいさん」が装置に向かって手を動かす音と、家中に嵌め込まれた歯車の規則正しく回る音だけが、家の中にやけに大きく響いていた。
「さあ、おまえが手伝えることはもうおしまいだ。ここから先は私が一人でやろう。アルカはゆっくり「物語」でも読んできなさい」
「……はい、おじいさん」
 アルカは散らばった工具を片づけ始め、「おじいさん」は黙々と作業を続けた。
 二人が何を思っていても、変わらない顔で装置は部屋の真ん中に聳え立っていた。


[2016年 02月 27日]

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