「語り部の見た世界」01

 むかしむかしあるところに、
 ひとりのキカイリュウがいました。
 キカイリュウはキカイのリュウでした。
 キカイリュウは自分がいつ生まれたのかを知りません。いつから生きているのかを知りません。
 だけどお仕事なので、毎日毎日、森のはじっことニンゲンをたべてくらしていました。

 むかしむかしあるところに、
 ひとりのこどもがいました。
 こどもはニンゲンのこどもでした。
 こどもはどこにでもいる普通のこどもでした。
 だけど、何かが違うと思って、毎日毎日くらしていました。

 ある日、ひとりのキカイリュウとひとりのこどもは出会いました。
 こどもはとても驚きました。なぜならキカイリュウはとても大きかったからです。
 キカイリュウはとても驚きました。なぜならこどもはとても小さかったからです。
 こどもはふるえる手で小さなおはなをさしだしました。キカイリュウは長い首を下げて小さなおはなをぱくりとたべました。
 おいしいな、とキカイリュウは思いました。そして、キカイリュウはこどものことが、すきになってしまいました。
 だけど、ほかのキカイたちはそれを許しませんでした。
「だめだ」「だめだ」「だめだ」「だめだ」
「にんげんはたべる」「たべるのがしごと」
「たべないならなかまじゃない」
 キカイリュウはこまってしまって、だけどニンゲンはたべなければいけないので、こどもをたべるために口をあけようとしました。
「いたいの?」と、キカイリュウを見上げてこどもは聞きました。
「ううん」
 キカイリュウはこたえました。
「いたくないよ」
 おなかについた大きな口が不気味な音をたてて開いたかと思うと、そのままこどもをぱくりとたべてしまいました。
「たべた?」「たべた?」
 そう言いながらキカイたちはきょろきょろと辺りを見渡しました。
 だけどあのニンゲンのこどもはどこにもいません。
「たべた」「たべた」「たべた」
 キカイたちは口々にそう言ってかくにんしあいました。
 どしーんどしーんと地面をならしながら、たくさんのキカイがどこかに行ってしまった後、キカイリュウは自分のおなかの中をのぞきこみました。ギザギザの歯みたいなキカイリュウのおなかが開くと、なんとあのこどもがびっくりした顔をして入っていました。
 キカイリュウはたくさんのキカイたちにうそをつくために、こどもをたべたふりをしていたのです。
「いく」とキカイリュウは言いました。
「どこに?」とこどもは聞きました。
「どこかに」とキカイリュウはこたえました。
「どこかに」とこどもは言いました。?

   *

 青年がそこで言葉を切って、手に持っていた小さな本をぱたんと閉じると、青年の周りで大人しく青年の語る物語を聞いていたこどもたちは一斉に顔を見合わせておしゃべりを始めた。
「キカイってあのキカイ?」「山の向こうにいる?」「キカイはニンゲンを食べちゃうものだってお父さんが言ってたよ」「どうしてキカイリュウはその子を食べちゃわなかったのかな?」「なんで?」「ねーなんで?」
 こどもたちの純粋な疑問の視線を受けて、青年は曖昧に微笑んだ。
「さぁ、なんでだろうね」
「えーなんでー」「わかんないー」「なんでなんでー」
「えーっと……」
 好奇心に目を輝かせるこどもたちの疑問に答えられず、青年――アルカは目を泳がせた。視線を逸らせた先には小さな井戸、井戸の脇には水を汲んで布をかぶせておいた水桶が。井戸の向こう側に伸びている道には見知った青年がこちらに向かって歩いている姿が見えた。
 青年に向かってアルカは視線を送って、ひらひらと手を振った。すると青年は少し驚いた顔をした後に、アルカの意図を汲んで、小走りで駆け寄ってきた。
「こら! お前ら、何やってんだ! ほら、散れ散れ!」
「うわーイラだー!」「言いつけられるぞー!」「逃げろー!」
 甲高い声で騒ぎながら、こどもたちは街へと続く緩やかな坂道を駆け下りていった。
 こどもたちにイラと呼ばれた青年は、少しの間逃げ去るこどもたちをおどかす仕草をしていたが、やがてこどもたちがまちの方に一直線に走り去るのを見届けてからアルカの方を振り返った。
「ありがとう。助かったよ、イラ」
 イラは背の高い青年だった。イラもアルカもまだぎりぎりこどもとして扱われる年齢ではあったが、イラは既に大人だと偽っても通じるほど逞しい体つきをしていた。
 気が弱く年齢の割には華奢な体つきのアルカとは何もかもが対照的な青年だった。
「あんなガキにまで苛められるなんて、まったくお前は優しいというか」
「あはは、違うよ。本をね、読み聞かせていたんだ」
 アルカは片手に持ったままだった本をイラにむかって軽く振ってみせた。片手に収まりそうなほどの小さな本だ。装丁はお粗末なもので、少しでも乱暴に扱えば壊れてしまいそうな簡素な本だった。
 だが、イラはその本を興味深そうにまじまじと見つめた。
「本ねぇ……」
「そんなに珍しい?」
「そりゃあ、この街でちゃんと本が読めるのなんて科学者先生とお前くらいだからなー」
 世界の片隅に追いやられたニンゲンは、公用の文字も、本を作る技術も資源も失ってしまっていた。
 アルカだって、科学者の「おじいさん」に教わっていなければ、本の読み方なんて、文字の読み方なんて知らなかったのだ。
「これも先生が外から持ってきた本なのか?」
「……うん、そんなところかな」
 アルカは手の中でそっと表紙を開いた。
 一頁目には、小さなこどもとキカイの絵と、拙い字で書かれた短い文章があった。こどもとキカイはとても幸せそうに笑っていた。
「ふーん、何が書いてある本なんだ?」
 イラが中身を覗きこもうとすると、アルカは慌てて本を閉じて、足元の水桶を持ちあげた。
「ひとりのこどもがキカイリュウと旅をする――ただの作り話だよ」
「ふうん」
 アルカはそれ以上を語らなかったし、イラもそれ以上を聞くことはなかった。



 世界はとうの昔に終わってしまっていた。
 どこまでも続くこの地面の上には、渇いた大地とキカイばかりがあって、「森」も、ニンゲンも、世界の片隅に追いやられていた。
 かつて世界はニンゲンのものだったらしい。あの我が物顔で闊歩するキカイたちも最初はニンゲンが作ったものらしい。キカイも、「森」も、技術も、資源も、かつてはニンゲンのものだった。だけど、それは昔の話。キカイがニンゲンに逆らったとき、ニンゲンはキカイに勝てなかった。ニンゲンは、この地面の上にいるどの生き物にも勝てなかった。
 ニンゲンにとっての世界は、とうの昔に終わってしまっていた。
 生まれてから死ぬまで、まちの中に閉じこもっているニンゲンには確認する術もないけれど、物知りな「おじいさん」が言うにはそうらしい。
 さっきこどもたちが駆け下りていったまちへと続く道を、二人はなんてことない会話をしながら、ゆっくりと下っていった。
 井戸のある場所からまちへと続く道は、緩やかな下り坂になっている。坂の途中から見ると、まちはまるで、まちの中心を底にしたすり鉢のように見えた。
 すり鉢のようなまちの四方には切り立った崖があって、キカイの侵入を防いでいる。だから、まちのほとんどのニンゲンは、キカイを見たこともなかったし、話に聞いてキカイを嫌いこそすれ、特別おそろしいものだとは考えていなかった。このまちは、そういうまちだった。
「なあアルカ。本物のキカイ、見てみたくないか?」
 だからイラがそんなことを言い出したとき、アルカはとても驚いた。
「キカイって外にいるあのキカイのことだよね?」
「そうそう、そのキカイ!」
「このまちにキカイを見られる場所なんてあるの?」
「それがなあ、あるらしいんだよ。キカイの墓場ってやつが!」
「キカイの、墓場?」
「そう! 聞くところによると、「教会」の塔の下にはでっかい空洞があって、そこにはニンゲンに倒されたキカイの墓場があるらしいんだよ! そういうのってさあ、こう、わくわくするよな!」
「うーんそうだね」
「興味あるよな! よし! じゃあ見に行こうぜ! 今から!」
「え、今から? 僕、水くみの途中なんだけど……」
「さっきまでその水くみほったらかして本読んでたじゃないか」
「それはそうだけど」
「そんなに急いでないんだろ? ちょっと見て帰るだけだからさ! な?」
「もー……」
 上機嫌で背中を押すイラに押し切られ、アルカは渋々「教会」の塔へと足を向けた。
 まちの南にある井戸を出て、背の低い草の茂る原っぱを東に抜けると、崖の背に届きそうなほど背の高い塔があった。塔の傍らには顎のような形をした奇妙な岩が聳え立ち、塔の一部をその影で覆っていた。かなり風化してしまってはいたが、岩の端には牙のような凹凸があって、近付けば近付くほど巨大な生き物の下顎の骨に見えてくる。
 こんなに巨大な顎を持つ生き物なんて、存在するはずがないないのだけれど。
 アルカは自分で自分の考えを否定した。
 存在するとすれば、神話に出てくる竜ぐらいだ。
 誰かがそう見えるように削ったものなのか、それとも本当に遥か昔の竜の亡骸なのかは分からないけれど、まちのニンゲンはそれを「竜の下顎」と呼んでいた。
 塔には「教会」を自称する集団が住んでいて、その領域にまちのニンゲンが立ち入ることを禁止していた。「教会」の領域にはまちの外に通じる穴があるらしいから、「教会」はキカイからまちを守るためにそうしているのだろう。
「おじいさん」が言うには、彼らは昔からある宗教を復興させた集団なのだそうだ。「教会」のある場所は、このまちで最も肥えた土地であることから、「教会」に自分から入るまちのニンゲンも少なくはなかった。
 「教会」の見張りに気付かれないように、二人はしゃがみこんで「教会」の領域をぐるりと囲む低い塀に隠れた。
「ねぇ、やっぱりやめようよ」
「今更だろ、覚悟決めろって」
 イラは笑いながらアルカの背中を何度か叩いた。
「ところでイラ、キカイの墓場の入口ってどこにあ……」
「しっ、見張りが来た」
 イラはアルカの口を閉じさせ、黙らせた。
 さくさくと草を踏む足音が二人の隠れる場所のすぐそばを通り過ぎていくのが聞こえた。二人は見張りの足音が遠ざかっていくのを息を殺して待った。
「行った?」
「行ったな」
 低い塀の上に二人はそっと顔を出して、見張りが十分に離れたことを確認した。
「よおし、行くぞ!」
「ち、ちょっと待ってイラ! イラったら!」
 アルカは、勢いよく立ち上がったイラの腕を掴んで、塀の後ろに引っ張り戻した。
 倒れこむような姿勢で物陰に戻ってきたイラに顔を寄せて声を潜める。
「行くって、そのキカイの墓場の入口がどこにあるか知ってるの?」
「何言ってんだよアルカ。今からそれを探すんじゃないか」
 やっぱりか。
 馬鹿だなあとでも続けそうな口ぶりでそう言って笑うイラを前に、アルカは額を押さえて、深くため息を吐いた。
「あのねぇ、見つかったらただじゃすまないんだよ? ただでさえ今は水桶持ってて走れないのに、見張りの人に見つからずに入口を探せるはずないだろ。ぼくたちももうそろそろ子供じゃないんだから……」
 そう自分で言ってしまってから、鼻の奥がちりっと痛むような感覚がアルカを襲った。
 多分それは、かなしみ。
「だからってよー……」
「おい、そこで何をしている!」
 塀の向こうから突然声をかけられて、二人は慌てて手で口を塞いで硬直した。
 草を踏む音が徐々に近づいてきて、二人の隠れる塀のすぐ近くで止まった。
 ふたりが恐る恐る振り返ると、低い塀の向こう側から、質素な「教会」の祭服を着た、人の良さそうな男性が見下ろしていた。
「あの、ぼくたちは」
 しどろもどろになるアルカを見てなんとなく事情を察してくれたのか、男性は小さく息を吐いた。
「ここから先は教会の聖域だぞ。騒ぎになる前に早くまちに戻りなさい」
「はい、ごめんなさい! ほら、イラ、行くよっ」
「ちっ」
「ああ、そうだ」
 男性は宙に祈りの文字を切ると、アルカとイラの額に二度そっと触れた。
「きみたちに呪い子の祝福がありますように」
「あ、ありがとうございます」
 男性は優しい笑みを浮かべていた。二人はその場から逃げるように立ち去った。
 早歩きで「教会」から少し遠ざかった後、イラは苦々しい顔つきで口を開いた。
「なんだよ、塔に篭ってるだけなのに偉そうに……」
「やめなよイラ。聞こえるよ」
「あーあ! あいつらさえいなければ、まちの外に出られるのになあ」
「……」
「やっぱり入るなら「上顎」だよな!」
 イラは、まちの向こうを指差した。
 「教会」の塔から見て、まちを挟んだ向こう側。塔と同様に崖の背に追いつきそうなほど巨大な建造物が見える。いくつもの家が重なり寄り集まったようなその建造物にも、奇妙な形の岩が寄り添っていた。まるで巨大な竜の目のような穴のあるその岩と、その建造物に集う自衛組織をまちのニンゲンは「竜の上顎」と呼んだ。
 下顎の「教会」は「呪い子」と呼ばれる巫女の力によって作物の出来を安定させ、「上顎」は武力によってまちの治安を守っていた。
 どちらが先にこのまちにできたのかという正確な記録は残っていない。残っていたとしても、文字を読める者がほとんどいなくなってしまった今となってはあまり意味を成さないものだろう。だのに、二つの勢力は互いに、ずっとずっと昔から、自分たちの支配の正当性を主張して対立していた。時に理性的に、時に暴力的な方法で。
 こんなにも狭いまちの中で、まちのニンゲンはいがみ合う。
 このまちにはニンゲンしかいないのに。このまちにはキカイはいないのに。
 どちらが悪いわけでもない。
 どちらもただ、自分の思うように生きているだけなのに。
 まちは、竜の亡骸によって二分されていた。
「ぼくにはよくわからないよ」
 堂々と道の真ん中を歩いていくイラの背中を見つめながら、アルカはぽつりと言った。
「協力しあうことは、できないのかな……」
 呟いた声は微かに吹いた風の中にあっという間に溶けて、誰にも届かないうちに消えていった。


絵:つばめ 文:黄鱗きいろ

[2016年 02月 23日]

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