2.キカイリュウの見た世界 「あるニンゲンのまちにて」


 霧はまだ深かった。霧はずっとずっと深かった。霧の中でも、きみの声が聞こえればまっすぐどこかに進んでいる気がした。だけどわたしは、霧の向こうを知りたいと思うようになってきていた。
 あるニンゲンのまちにたどりついた。そのまちをわたしは知っていた。以前に来たことのあるまちだった。わたしはニンゲンに近づいてあいさつをしようとした。
「ひとごろし!」とニンゲンはいった。石が飛んできた。石はわたしに当たって、地面に落ちた。わたしは痛くなかった。
「ころすとはなに?」とわたしは尋ねた。
「ころしたらニンゲンは死ぬんだよ!」
 ニンゲンはまた石を投げてきた。石はわたしに当たって、地面に落ちた。わたしは痛くなかった。だけど、わたしの内側が、なんだか、おかしかった。
 死。ということばがわたしの中でひっかかった。何かを忘れているような気がして、わたしは記録を探した。
 死とは何だっただろうか?
 わたしは何かに気づいてしまった気がした。
 わたしは歩きだした。何かを見つけなければいけない気がした。何かを知らなければいけない気がした。歩調はどんどん早くなり、いつしかわたしは走りだしていた。
 腹の中に誰がいるのか、腹部の駆動を邪魔する「これ」は何なのか。気づいてはいけない気がした。でももう止まらない。
 「だめだ」ときみはいった。「なぜ」とわたしはきいた。「おわってしまう」ときみはいった。わたしは理解できなかった。
 死とは何だっただろうか。わたしはそうやってきみにたずねた。きみは「こたえられない」といった。わたしはもう一度きみにたずねた。きみは「こたえられない」といった。わたしは何かがおかしいと考えた。腹部から出てきてほしい、とわたしはきみにいった。「拒否します」ときみはいった。わたしは何かがおかしいと考えた。だけどきみは「否定」といった。きみがいうのならきっとおかしくはないのだろうとわたしの一部は思考を停止した。だけど、わたしの内側の一番奥にある領域外の場所だけは何かがおかしいと震えて考え続けていた。そんな小さな場所のために、わたしの足は動き続けていた。
 きみの声が何度もわたしを制止した。だけどわたしは走り続けた。何かを見つけなければいけないと考えていた。そればかりを考えていた。
 走っている間、夜は全然来なかった。あんなに夜はたくさん来ていたのに、今は全然来なかった。遠い上の光が明るくなって、暗くなって、また明るくなって、何度もそれを繰り返した。だけど、わたしに夜はこなかった。
 たくさんの地面を踏んで、たくさんの道を踏んで、たくさんのまちのあとを踏んで、たくさんのキカイたちを乗り越えて、わたしは走っていった。きみと旅したせかいをたどって、わたしはその場所を探した。
 進む度に霧は薄くなった。わたしはこの霧が何なのか少しずつ理解し始めていた。わたしはわたしが探しているものが何なのか少しずつ理解し始めていた。
 地面に穴があいていた。地下にある何かの天井が落ちたもののようだった。わたしはそれに見覚えがあった。きみにそれが何だったのかをきいてもこたえてはくれなかった。きみはそこを離れるようにわたしにいった。わたしは穴の中をそっとのぞき込んだ。そのとき、地面が急に崩れて、わたしは穴の中に落ちていった。

 落ちた先は見覚えのある場所だった。木があった。水があった。草があった。小さなものたちがたくさんいた。「森」にとても似ているのに、わたしはここが箱の中だと考えた。わたしはここを覚えていた。
 「ここはおはかだ」ときみがいっていたのを思い出した。おはかは死んだものがいる場所だ。何故ここはおはかなんだろう。死ぬとはなんだっただろうか。わたしは何を気づくべきなんだろうか。きみは何かを叫んでいるけれど、それ以上にこころの駆動音がうるさく響いて、きみのこえが聞こえない。
 目の前に、ひとつのキカイがあった。もう動くことのないひとつのキカイがあった。たくさんの植物が這っていた。キカイの頭部には羽のある小さなものがいた。わたしの内側の奥深いところが軋んでいた。わたしはそれを知っていた。
 これは、「わたし」だ。そうだ、これは「わたし」だ。まぎれもない「わたし」の姿だ。
 霧はもう無くなっていた。
 わたしは「わたし」に近づいた。頭部に巣を作っていた、つがいのトカゲ鳥が慌てて飛び去っていった。「わたし」はその勢いで姿勢を崩して、「わたし」の腹部はぎいと僅かに開いた。
 わたしはそれを見た。
 「わたし」の腹の中にある、白い白い、それは――

 わたしはわたしの腹部を開いた。きみはいなかった。きみはあった。きみは動かなかった。きみはもう喋らなかった。きみはもう笑わなかった。わたしの腹の中には、真っ白な、小さな、きみの骨があった。


 わたしはやっと、きみの死を理解した。


[2016年 02月 23日]

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