2.キカイリュウの見た世界 「うみにて」


 だけど相変わらず、霧は深かった。
 岩山に大きな亀裂があった。亀裂の中には、たくさんの先の尖った岩が穴の天井からたくさん垂れ下がっていて、地面からも尖った岩がいくつも突き出ていた。それは洞窟だった。
「どこにつづいているのかな」
「どこにつづいているのかな」
 きみはカンテラをつけてわたしの前を歩きだした。わたしはきみのあとに続いて、洞窟の中を進んでいった。
 洞窟の中には水がたくさんあった。尖った岩から小さな水が垂れてきて、何度もわたしときみに当たった。きみに水が当たっても音はしないけれど、わたしに水が当たると小さな音が響いた。わたしはその音について何かを考えようとしたのだけれど、何も考えることはできなかった。
 曲がりくねった道をたどり、凹凸のたくさんある濡れた地面をときには邪魔な尖った岩を踏みつぶしながら進んでいくと、ずっと先に光が見えた。きみの持つカンテラの光はとてもとても大きいと考えていたのだけれど、洞窟の先からくる光はもっと大きいものだった。
 わたしたちは洞窟の外に出た。きみは立ち止まった。わたしはまぶしくて仕方がなかったので、暗闇の為に精度を高めていた感覚器を元の基準まで戻した。
 瞬間、霧が消え去った。
わたしたちの前にあるのは大きな水だった。ずっとずっと先の弧を描いて途切れてしまうところまで、水ばかりがあった。水の先端の上に広がっているあれもおんなじようにどこまでも広がっていて、ところどころによく分からない形の何かが浮いていた。そのふたつのおんなじようで違う鮮やかな色がわたしの視界に飛び込んできた。
「あおだ」ときみが言った。
 わたしも、それが「あお」だとその瞬間は理解していた。
 わたしの足ときみの足が、湿った砂を踏んだ。その砂は荒野にあった砂よりも粒が大きくて、どこかに飛んでなくなってしまいそうではなかった。
「うみだ」ときみが言った。
「うみだね」とわたしも言った。
 羽を持ったものがいくつか音を出しながらうみの上を飛んでいた。うみの水は少しずつこちらに向かって動いていて、色の違う泡を先頭にした塊がまとめてこちらに来たかと思えば、砂を濡らしては戻っていった。
 きみはあおいあおいうみの端っこを手ですくい上げた。だけどその水はあおくはなくて、わたしもきみも首をかしげた。
 きみは「ふしぎなにおいがする」と言った。わたしには嗅覚器は備わっていないので、同意することはできなかったけれど、うみから吹いてくるやわらかい風を頭部の二本の感覚器官をなびかせて、においの意味を考えようとした。
 湿った砂を前足の爪でかくと、小さいものがたくさん出てきた。かたい二枚の殻を持ったもの、二つの腕にあぶないものをつけたもの、殻を背負ったまま歩くもの、五股に分かれたもの、小さなサカナ、見たこともないようなものが現れるたびにきみはよろこんでいた。そうわたしは確信していた。
 きみはうみを見て、なんだか、「たのしい」と考えているように見えた。わたしも「たのしい」にきっと似ている考えを抱いていた。どうしてこんなにもわたしの内側が揺れ動くのか、わたしには理解できなかった。記録に該当事項はなかった。だけどわたしは「たのしい」と考えていた。
 そうして、うみがまぶしくなって違う色になった頃、わたしたちは一歩、うみに入った。
 うみの水がきみの足を濡らした。わたしの足を濡らした。白い泡を伴った水の塊が何度も来ては遠ざかって、わたしの足は体重で砂に薄く埋まった。進めば進むほど、水は深くなっているようだった。
「すすめないね」
「すすめないね」
「ここもきっとちがうのだろうね」
「うん、ちがうのだろうね」
 きみはうみを見ていた。わたしもうみを見ていた。うみの向こう側にあったかもしれない場所を見ていた。
だけど、そこはわたしたちの場所じゃない。
そうやって確信もしていた。きっとわたしたちはふたりとも。
「いこうか」
「どこに?」
 きみは振り返った。表情を変えたきみのかおがわたしの視界でちかちかと瞬いた。きみはわらっていた。
「どこかに」ときみは言った。
「どこかに」とわたしも言った。
 久々に目が覚めた心地がして、その日の夜わたしは、ふかくふかくねむった。


[2016年 02月 15日]

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