秋のふたつのものがたり

 古き竜は目を覚ました。
 日の落ちたばかりの空、まだ温もりを残した空気の下。
 鈍色の全身へと巻き付き締めつけ飲みこみ、大樹は古き竜の動きを奪う。苔むした体表面の所々からは、鈍く輝くことすらできなくなった赤黒く錆ついた金属が覗く。
 ああ、よかった。
 朽ちかけた頭蓋が軋む。
 望んだ姿へと変わり果てることができた安堵に、古き竜は再び眠りにつこうと、目を閉じ、かつて愛した大樹へと身を任せる。
 今度こそ、二度と目覚めてしまわないようにと、強く、強く願いながら。

   *

 とても ふるい
 きかい の りゅう は
 もり と いっしょに
 ねむること が できません でした。
 きかい の りゅう は
 うごき だし ました。
 どこ へ むかうのか は わかりません。

( ある子供の手記 4 )


   *

 古き竜は目を覚ました。
 耐えがたい飢えと渇きが、思考する機械の中枢を締め上げ、苦しめていた。
 苦痛を振り払おうと古き竜はのたうちまわる。首へと絡まっていた細木は千切れ去り、体全体を飲みこみつつあった幹は粉々に砕かれる。今まで古き竜を包み込んでいた全ての木々が、打ち倒され、踏みつぶされる。
 何度飲み下そうと、いくら体を傷だらけにしようと、回路の奥底から込み上げてくる浅ましい欲望。自己保存と名前の付いたその欲望は、徐々に古き竜から自由意思を削り取っていく。
 自分への怒り、悲しみ。これから起きるであろうことを予期し、古き竜は必死に抵抗した。しかし欲望によって感情機能は大幅に規制され、最後に残された記憶領域へと古き竜は縋りつく。
 始まり。ふたりの機械。気付くことのできなかった過去。記憶の砂塵の中へと消えていく。
 ただ一人の友人。鮮やかな若草色。長い首、長い尾。艶やかな肌。牙を立てようものなら、簡単に食い破れてしまいそうな首筋。
 美しい翅。時を重ねるごとに色合いが深まっていった。食いちぎってしまいたい。
 どれほど美味なのだろう。
 どれほど満たされるのだろう。
 伝い落ちる滴のような甘さが古き竜の思考を染めていく。そうして、残されたのは欲望。個体の維持に必要な自己保存機能。
 若々しい木々をあっさりと踏みつぶし、古き竜は動きを始めた。

   *

 やがて朽ちゆく落ち葉の波に埋もれるようにして、その季節は静かに訪れた。
 出口の無いように思われる広大な樹海の只中に、ぽかりと開けた小さな広場。緑の竜は、まだ瑞々しさの残る葉を一枚取ると、口でくわえ、「私」へと差し出した。
 複雑な紋様の刻まれた小さな葉。その古き文字の意味を読み取り、「私」たちは笑い合う。
 そんなささやかな幸せが満ちた季節だった。
 それは、森を終わらせる一陣の風が、全ての葉を吹き飛ばした日だった。
 ほんの一瞬のうちに鮮やかな色彩が消え去った森。残された木々はまるで日の光に焼かれた魔物のように、黒々と渇いた枝を月の昇る天へと伸ばしている。
 緑の竜は、石のように生命を無くした森を見上げ、悲しそうに一声鳴いた。
 背から伸びる翅は震え、光の粉が舞う。かつて透明感のあった翅は、今では成熟し、森の生命を全て受け取ったかのような鮮やかな極彩色を誇っている。
 だが、対照的に緑の竜の体は、日に日に瑞々しさを失っていた。まるで、咲いては枯れゆく花のように。
 とても、きれいな翅だ。
 「私」は緑の竜に語りかけた。緑の竜はいつも通りの柔らかな笑顔を見せ、振り向いた。「私」は、あなたがどんどん弱っているように見えると伝えた。そして、それがとても心配であるとも。
 緑の竜は、相変わらず柔らかな、けれどどこか諦めているかのような笑顔のまま、ゆっくりと首を振った。
 どういう意味か、と「私」は問い詰めた。竜は、何も語らぬまま「私」を見つめていたが、やがて、黒く聳える木々の中にただ一枚だけ残された葉を千切り取ると、一言、何かを書きつづって「私」へと差し出した。
 とても簡単な文字列だった。だが、その時の「私」には意図を理解することのできない言葉だった。困り果てて顔を上げると、緑の竜は「私」の鼻先へとそっと顔を触れさせた。
 諭すように。宥めるように。祈るように。
 淡い余韻を残したまま、離れていく竜の顔。その行動の真意を問う前に、それは唐突に現れた。

 吹き荒れる生温い風。木々は軋み薙ぎ倒され、残されていた枝葉は今度こそ全て吹き飛んでいく。
 緑の竜は翅を大きく広げ、庇うように「私」に覆い被さっていた。
 地の底から響くような低音。実際、大地は震えていた。巨大な生き物の拍動のごとく、律動する大地。
 足音。
 まるで世界の終わりを告げに来たかのように、空を覆い尽くすほどの巨大な体が姿を現した。
 それは、機械だった。竜だった。蛇腹状の首。鋭く恐ろしい牙。一目見て、「私」がかつて出会ったあの竜だと分かった。
 緑の竜は、呆けている「私」を庇いながらも、巨大な機械を睨みつけた。苛烈な光を宿した眼。翅は細かく震え、「私」はぼんやりと、この竜と出会った時のようだと思っていた。
 巨大な機械の意思の無い目が、欲望が、確実に「私」たちを捉える。「私」は動けない。
 感じた衝撃。傍らの竜の細く長い尾によって、後ろへ弾き飛ばされる「私」。
 何故、と問う前に聞こえた地を蹴る音。視界の隅で飛び立つ緑の竜。暗闇へと差し込む一条の光のように、力強く、まっすぐに。命を喰らわんと喚き続ける、強大な機械へと向かって。
 機械は、ないた。緑の竜を捕えんと、首を巡らせる。尾を振り回す。その動き一つ一つが森の命を砕き、奪い去っていく。

 「私」は、逃げ出した。
 「私」が残っても、何もできるはずがない。あのひとを守るなんてできるはずがない。守られることしかできないのだから。だから、逃げなければ。

 「私」は走った。
 背後で何かがぶつかるような音が聞こえ、直後、森は静寂に包まれた。

 仕方なかった。仕方なかった。仕方なかった。
 「私」は、ただ言い訳だけを続けながら、逃げ続けることしかできなかった。
 握りしめていた葉は、砕けて風の中に消えていった。

( ある秋の日の追悔 )


   *

 ありがとう
 キレイ と いって くれて
 わたし は すくわれた

( 砕かれた手紙 )


   *

 まだ若い機械竜は、緑色の竜の亡骸が目の前で落ちていくのを見つめていた。
 力無く重力に従い垂直落下する体とは裏腹に、背中の薄翅はやけに華々しい色合いで風を受けていた。風も止み音の無い世界の中を、ただただ真っ直ぐに緑の竜は落ちていく。
 ほんの一瞬の出来事。しかし永遠にも近いように感じる時間の中、それは若き機械竜の視界を捕らえて離さない。
 それはまるで、この若い機械竜がかつて愛したひとの最期を、森がもう一度見せつけているかのような、そんな光景だった。
 落ちていく緑の骸の頭上には、巨大な機械がいた。
 それは竜。
 いや、繰り返し増築しやがて自壊していく建造物のごとき継ぎ接ぎのその姿は、もはや竜とも言えないかもしれない。まだ竜の面影を残す大きな口を半分だけ開けて、それは呆然としているようにも見えた。
 忌まわしきその姿に、忘れ去ったはずの激情が蘇る。あれから多くの時が過ぎ去ったが、間違えるはずもない。
 意思の無い目玉。森を薙ぎ倒す尾。その動きを制止するかのように全身へと絡み付く木々。悍ましいなき声。まだ若いこの機械竜から、愛するひとを奪い去った憎き怨敵。
 かさり。渇いた音を立てて、緑の竜の亡骸は呆気なく落ち葉の敷き詰められた地へと落ちた。背中から生える両の翅は天を指したまま、風に細かく揺れていた。踏み潰された落ち葉のように、風に舞いぼろぼろと崩れ去る命の無い体。
 ――と、その背の翅が風の動きに逆らったように見えた。いや、確かめるようにゆっくりとではあったが、命の無いはずの竜の翅は確かに意思を持ち動いていた。
 ゆっくりと開き、また閉じていく翅。生まれたばかりの体を風に晒し乾かすかのように何度も何度も。
 若い機械竜はそこでようやく、かつてのあのひとが恐れていたものの正体を知った。
 それは一匹の麗しい蝶だった。
 依代としていた緑の竜を突き放すように、蝶は飛び立つ。その足取りは覚束ない。触れるだけで砕けそうなはかなさを孕んだその姿は、かつてのあのひとの面影を確かに残していた。
 光の粉を纏いながら、蝶は飛び去っていく。その後を追うように、老いた機械は軋んだ音を立てながら、ゆっくりと動きはじめた。
 食われてしまう。かつて愛したひとと同じように。面影の見えるあの緑竜と同じように。
 あの緑の竜だって、きっと愛するひとも愛したひともいただろう。それなのにあの暴虐なる機械はいとも簡単に大切なものを奪い去る。
 ――また繰り返すのか。
 機械竜は口の中で呟く。今の今まで使う目的のなかった鋭い牙が、悔しさにぎりと軋む。そこで機械竜は唐突に気付いた。
 無力な子供だった昔とは違う。今の自分には牙も爪も力もある。
 大切なものを守ることができる力が。大切なものを奪い去ったものを食らいつくす力が。
 復讐に燃える若き機械竜は、弾け飛ぶように古き機械のあとを追った。

( ドラゴノイドの見た希望 )


   *

 みどりの りゅうは
 たべられて しまいました。
 きかいの りゅうは
 くるしんで います。
 みどりの りゅうの せなか から は
 きれいな ちょうが とびたって
 みどりの りゅうは
 くだけて しまい ました。
 わたしも いつか ああなるのでしょうか。
 ちに おちた はっぱは
 しおれて くだけて いきます。
 わたしも いつか こうなるのでしょうか。
 
 わたしは それが
 とても とても おそろしいのです。

( ある子供の手記 5 )



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